まめやか映画館

「ちょっとツラいな…」と感じるあなたに寄り添う映画ガイド

まめやかプロフィール

管理人まめやか

こんにちは、まめやかです。
たくさんあるブログの中で、この「まめやか映画館」にお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

【プロフィール】

  • 性別:男性
  • 職業:自営(分相応に小さな会社を経営)
  • 居住:京都
  • 信条:偉くなくとも ”まめやか” に生きる

当ブログ「まめやか映画館」について

MOVIE TIME

「映画の雑感」だけど、読めばちょっぴり元気になれるブログ

最初にお断りしておきたいことがあります。

このブログで書く文章は、ごく控えめに言っても正統的な「映画評論」や「映画批評」ではない、ということです。舌鋒鋭く評論できるほど映画に関する造詣が深いわけではないし、あっと驚くような解釈やウンチクを披露できるわけではありません。

映画の見方をレクチャーできるわけでもなければ、一聴に値する映像芸術に対する見識を持ちあわせているわけでもないのです。それならトレンドをキャッチアップした新作映画情報を紹介するかというと、それも違います。

ではこのブログでは何を書くか?

あっさり言えば「映画の雑感」です。
より正確を期すなら「映画の雑感」に仮託した、ちょっと元気が出る読み物といいましょうか。ほんの少し前向きな気分になれる雑文といいましょうか。

「ちょっとツラいな…」「どうせ自分なんて…」「やる気がでない…」と、少し元気を失っている人に、━━ ほんのちょっとだけでも ━━ 勇気と活力を与えるようなブログを書きたいと考えました。読んで前向きになってもらえるような。紹介した映画を見て希望を持ってもらえるような。

問題は、映画の雑感なり雑文なりを書くほどの適格性が僕にあるのか、ということ。まあ誰に断るでもなく好きなことを好きなように書いてもいいのでしょうけど、個人的な映画に対する思い入れみたいなものをプロフィールがわりに書いたとしても、さして道理を外したふるまいではないだろうと思いました。

そこでここから、僕が「映画を見続けて本当によかったなぁ…」としみじみ感じていることをお伝えしておきますね。

映画を見続けことでつくづく実感したこと

映画カチンコ

映画には、世界の見え方を変えてしまう力がある

僕自身、映画に救われてきた人間なんですね。今でこそ、適当に言い訳しながら毎日愉快に馬齢を重ねていますが、若い時分は生きづらさを抱えていて、生きているその営為自体に心も体も馴染めませんでした。

みんなはすいすい気持ちよさそうに、それぞれの人生を進んで行くのに、僕にはいちいち引っかかりを覚えてしまうのです。まるで、鋭いトゲを持つ植物が繁茂する森の中を進むたびに、着ているセーターの繊維がひっかかって、なかなか先に進めないみたいに。

そんな「行きづらさ」(生きづらさ)を抱えていた自分を、ときにやさしく慰撫し、ときに荒っぽく鼓舞し、ときに「滋養」を送り込み、ときに「毒」を与えてくれたのが、たくさんの映画でした。

映画の中の物語に触れて、おそらく自分という人間を、知らずしらずのうちに有効に相対化していたのでしょう。多くの人生を知ることで、凝り固まっていた自分のものの見方や感じ方がゆるやかに複眼的になりました。

これまで疑うことなく自明の理だと思っていた、今の時代・状況・場所を、もっとワイドで高い観点から捉え直し、現実認識を組み替えていたようです。これには自分でもずいぶん驚きました。世界の見え方が変わったと言っても、けっして大仰な物言いではありません。

「虚実皮膜のあわい」に触れることで引き出せる知恵や洞察がある

映画のもつ感化力の凄まじさを身に沁みて感じた僕は手当たりしだいに映画を見ていきました。映画を通して色とりどりな豊かな人生を追体験することができたのです。

そこには、気高く崇高な人生があり、愚かしく没義道な人生があり、刮目に値する人生があり、罰当たりな人生があり、襟を正させる人生があり、唾棄すべき人生があり……
古今東西、あらゆる人間の人生のカタログを目のあたりにしているようで、たかが映画の中のお芝居とはいえ影響を受けないわけにはいきません。

いや、お芝居だからこそ、凄まじい感化力が生まれるのでしょう。

「虚実皮膜のあわい」という近松門左衛門による芸術論があります。「虚」、つまり芝居の虚構と、「実」、つまり人間世界の現実との境目は、微妙なはざまにあるというのです。優れた虚構は、見慣れた現実以上に現実の諸相を際立たせ、力強く生きるための知恵や活力、あるいは苦みのきいた教訓を与えてくれるのではないかと。もちろん映画も「虚実皮膜のあわい」に触れさせてくれる、一種の芸術といえましょう。

「しょせん映画ってフィクションだから」という理由で見ないのは、あまりにももったいない。フィクションにしか届けることのかなわないメッセージがあるし、「虚実皮膜のあわい」という機微に触れることでしか引き出せない、生きるよすがとなる洞察があるように思うからです。

古人が芝居や物語という「装置」を用いて、生きる叡智を後世に伝えたのも、なるほどうなずけます。

だけど映画を見続けたことで、いっそう厚かましい人間になったかも

ここまで映画を見ることのメリットを書いてきましたが、映画を見続けたことで僕の性格は改善したわけではありません。カドがとれて丸みが帯びたかというと事態はまったく逆で、むしろ映画を見れば見るほど、自分に固有の「圭角」を大切に抱えていこうと考えるようになりました。

見方によっては、いっそう厚かましくなったと言えるかもしれませんね。どれだけ映画を見ても、空気が読めない人間であることに変わりないので、相変わらず周囲がア然とするようなトラブル続きの毎日。むしろトラブルのない平穏な日はなんだかもの足りない気分です。

それでも何事によらず一長一短で、厚かましさには慶賀すべき側面もあります。映画を通して多くの人間の人生に触れることで、些末な問題にとらわれることがなくなったのです。くわえて、以下の2つの気づきも僕にとってはずいぶんエポックメイキングな発見でした。

・人に嫌われようと軽んじられようと、自分の人間的価値はなんら揺らぐことがないこと
・空気を読んで如才なく世渡りしていく以上に、人生には大切な事柄があること

そんな厚かましい僕だから伝えられるメッセージがあるかもしれない。
「ちょっとツラいな…」「どうせ自分なんて…」「やる気がでない…」と、しんどい思いをしている人に、元気になってもらえる映画を紹介できるかもしれない。
そのように考えたのです。

もしよかったら、毎日のコーヒーブレイクの読み物として、あるいは映画選びの参考として、「まめやか映画館」をご利用ください。 「おもしろそうだなぁ」と思ってもらえたら、フォローしていただけるとありがたいです。

よろしくお引き回しのほどお願い申し上げます。

まめやか 拝

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