『バック・トゥ・ザ・フューチャー』感想・解説※観れば視野が広がる、思慮深くなる

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』全3作(1985年-1990年)

主演:マイケル・J・フォックス

製作総指揮スティーブン・スピルバーグ。タイムトラベルをテーマした高校生と老発明家の活躍を描くSFロマンティック・コメディ。シリーズ全3作品。映画の世界的ヒットとともに、主演のマイケル・J・フォックスは大スターに。ユーモア、アクション、ノスタルジー、そしてロマンス。映画の楽しさ詰め込んだ娯楽大作をご紹介!

この映画、こんなあなたにおすすめです!
  • 手堅い王道SF作品を見て時間を忘れたい人
  • シリアスな人間ドラマよりハッピーエンドを求める人
  • 自分のことを「視野が狭く思慮が足りない人間」だと感じている人
  • ついカッとなって感情的になりやすい人
  • 1980年代後半、ハリウッドの一流の知性が、30年後の世界をどのようにイメージしたか興味のある人(PARTⅡを見てください)
目次

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』作品情報

監督ロバート・ゼメキス
脚本ボブ・ゲイル/ ロバート・ゼメキス
撮影ディーン・カンディ
音楽・アラン・シルベストリ
・ヒューイ・ルイス(主題歌「パワー・オブ・ラヴ」)
出演・マーティ・マクフライ・・・マイケル・J・フォックス
・ドクター・エメット・L・ブラウン博士・・・クリストファー・ロイド
・ジョージ・マクフライ・・・クリスピン・グローヴァー
・ロレイン・マクフライ・・・リー・トンプソン
・ビフ・タネン・・・トーマス・F・ウィルソン
・クララ・クレイトン・・・メアリー・スティーンバージェン(PARTⅢのみ)
ジャンルロマンス/SFコメディ

ストーリー

マーティ(マイケル・J・フォックス)は、ヒルバレーに住む高校生。年上の友人ブラウン博士(クリストファー・ロイド)が発明したタイムマシン「デロリアン」に乗って、期せずして1955年へタイムスリップしてしまう。

バック・トゥ・ザ・フューチャー、つまり、未来に帰るために、マーティは、1955年のブラウン博士に協力を要請する。しかしマーティは、彼と同じ高校時代の父・ジョージ(クリスピン・グローヴァー)と母・ロレイン(リー・トンプソン)に出くわしてしまう。しかもあろうことか、ロレインはマーティに異性として恋心を抱いてしまい歴史の道筋が変わってしまうことに。

時間のパラドックスで存在消滅の脅威にさらされたマーティは、父ジョージと母ロレインを結びつけるために八方手を尽くすが……

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の感想

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』感想・解説

「SF」というより「極上のロマンティックコメディ」

小学生の頃、映画の面白さを教えてくれた作品の一本です。
この作品に触発されて、アメリカ映画が好きになった人や、アメリカに旅行や留学をしたという人は多いことでしょう。

この映画、人によっていろんな楽しみ方ができる「オールインワン娯楽作品」です。サイエンス・フィクションとしても一級品、コメディとしても傑出しています。マクフライ一家のサーガ(家族の年代物語)でもあるし、マクフライ家の男性の成長譚として楽しむこともできるでしょう。

で、僕にとっての『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、極上のロマンティックコメディです。とくに「PARTⅠ」では父ジョージと母ロレインのロマンス、「PARTⅢ」は、ブラウン博士とクララ・クレイトンのロマンスがそれぞれ主軸となって、物語をダイナミックに牽引していきます。さしずめ主人公マーティは ” 時の氏神 ” といったところでしょうか。

タイムスリップという特異な背景は、ロマンスをおおいに盛り上げる ” お膳立て ” にすぎません。あまりにも現実離れした状況だからこそ、ロマンスの ”隈取り” はより深くなり、立体的で均整のとれたものになるのです。

近未来・近過去という設定に、センスの卓越を感じさせる

「PARTⅠ」の舞台は、1985年です。
そして、アクシデントでタイムスリップする時代が1955年。
この ’55年~ ’85年の30年間に照準したところに、この名作を名作たらしめる面白さの源泉があります。実に、時代におけるカルチャーギャップが際立つ30年なんですよね。

1955年、甘酸っぱい青春を謳歌する若者たち。週末のダンスパーティー、ポニーテールにダックテイル、ネオンサインが眩しく輝くドライブイン。主人公マーティにとっては尋常ではないほどのカルチャーショックですが、映画を見る側にとっては、しばしやさしいノスタルジーに浸れるでしょう。僕のように1955年に生まれていない人が見ても、映画のノスタルジーをたらふく満喫するために、さも当時のカルチャーを知っているかのような「倒錯」を自分に許してしまう。

「PARTⅡ」の舞台は2015年。1985年~2015年という30年間というのも絶妙です。映画製作当時、ハリウッドの一流の知性やクリエイターが、2015年の世界をどう予見したか。その答え合わせをするような気分で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見ても楽しい。

「未来」に対する「現在」の働きかけが、「過去」を変えていく

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は軽率なタイムトラベルによって歴史を変えてしまうことの是非を問う映画というより、「いかに現在を生きるか」を示唆する映画だと思います。

「未来」はすでに在るのではなく、「現在」の自分が手づくりしてゆく。その手づくりしてゆく過程で、「過去」の意味合いも変わってゆくのです。誰にでも辛い過去があります。思い出しただけでしんどくなるような経験を乗り越えて現在に至っている。でもその過去がなかりせば、「未来を創造してゆく現在の自分」もないわけですね。

向日的な未来を創りあげるには、力を与える解釈が可能な過去に「再定義」する必要があります。過去の事実は変えようがありません。過去を帳消しにすることは求めがたい。だけど過去の解釈は変えられる。過去から何を引き出せるかは、「未来を創造してゆく現在の自分」しだいということです。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見るたびに、僕はいつも「現在・未来・過去」の時間軸で考えることの大切さを思い返します。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のキャストについて

バック・トゥ・ザ・フューチャーキャストについて

マーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)

理屈抜きで好感が持てる俳優です。
時空を越える高校生を、肩ひじはらず、自然体のドライブ感をもって演じています。だからといって定型的なヒーロー像を踏襲しているわけではありません。3部作を通して見ると、マーティはリアルな陰影のある青年であることが判然とするでしょう。

「PARTⅡ」以降、「腰抜け」と言われるとカッとなって分別を失うという、マーティの未熟な性格が露呈しますが、さまざまなトラブルを乗り越えていくうちに成長していく姿には大向うを唸らせる説得力がある。役者として堅実さ、豊かな資質を持っている人だということがわかるのです。

2000年頃から、マイケル・J・フォックスはパーキンソン病のために芸能活動を退くことになりますが、病を得たことで俳優して、エンターテイナーとして、さらなる前進と飛翔を可能ならしめたのではないかと。

マイケル・J・フォックス自身が、未来を創る自分に力を与える解釈を病から引き出しているように思います。同じ病に苦しむ人々を照らす、力強い「光源」のごとき存在です。

ドクター・エメット・L・ブラウン博士(クリストファー・ロイド)

タイムマシン「デロリアン」を発明したマッドサイエンティストという役柄を怪演しています。

エキセントリックなようで、実は倫理的には誠実、そして一本筋の通ったジェントルマン。なので演じるには難しい人物ですが、俳優として堅実に積み上げてきたキャリアがあればこそ、世界に夢を与えたドク・ブラウン博士をこなせたのではないでしょうか。

「PARTⅢ」は、ほとんどクリストファー・ロイドが主役といっていいほど、アクションとロマンスを見せてくれます。「歴史を変えることはまかりならん」と言いながらも、人としての誠実さが歴史を変える行動へと促してしまう、その皮肉のおかしみにしっかり「小味」を利かせている。達者な役者さんです。

ジョージ・マクフライ(クリスピン・グローヴァー)

1955年、高校生の頃の父ジョージは、「懦夫」という言葉がぴったりの柔弱な男。
宿敵ビフからいじめられて、へらへらしている姿さえ、チャーミングで愛嬌があります。

滑稽味を強めた感じのコミック的なキャラクターですが、この突拍子もない物語にうまく馴染ませている演技は称賛に値するでしょう。現実にいそうにないキャラでも、キラリと光る存在感を与えているのです。

なよなよしたジョージが、マーティの力を借りることなく、自らの意志と力で「男」になるシーンは胸に迫ってくるものがあります

ロレイン・マクフライ(リー・トンプソン)

高校生の頃の母ロレインは、なかなか見応えがあります。自分の息子であるマーティに恋をしてしまうのが、やたらとおかしい。

はちきれんばかりの若々しさと、異性への興味関心を隠しきれぬ奔放さは、豊かでカラフルなアメリカのイメージと結びついています。どんなに抑えつけても閉じ込めても、あとからあとからあふれてこぼれ落ちてしまう「女のさが」を、もはや自分では制御しきれない━━ そんな女性の悩ましくも幸多き一時期を、リー・トンプソンは過剰演技に堕することなく堅実にこなしているようです。必要とされる通俗性を怠りなく保持しながら。

きっと女優として聡明な方なんでしょう。この物語のおけるロレインの立ち位置を的確につかみ、役柄への読解力の確かさが感じられます。

【コラム】自分で自分に「因果を含める」こと、思慮深くあることの大切さ

バック・トゥ・ザ・フューチャーコラム

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を実に多くの示唆に富んでいるためか、映画を見て、「元気が出る」「希望が持てる」という人が多いようです。思うに、「現在・未来・過去」という時間軸の観点から、自分の抱えている問題を見つめ直すことができるからではないでしょうか。

現在の立ち位置からの視点では、大局と小局の別を見誤ってしまいやすくなります。目先の利害得失にとらわれて、思慮深さを欠いてしまう。まるで、「腰抜け」呼ばわりされるとつい脊髄反射して、浅はかな行動をとってしまうマーティのように。

しかし、過去・未来・さらに過去へと時空をまたぎ越すタイムトラベルを繰り返していくうちに、マーティは思慮深く意思決定ができるようになります。
(その結果、歴史に修正が加えられ、ハッピーな人生に変わるのですが)
マーティの視野はゆるやかに拡張し、多面的にものごとをとらえるようになったのではないでしょうか。

人間は、「現在・未来・過去」という観点をもつと、規矩(きく)がそなわり、自分のふるまいに節度や慎みを持てるようになります。思慮分別というブレーキがかかるようになる。それを僕は「自分で自分に因果を含める」と呼んでいます。

「過去にも、今と同じ状況で痛恨の失敗をしたやろ? また同じ轍を踏むんかい? いい加減 賢くなったらどうやねん?」と自分で自分に言い聞かせて、ありったけの自制心を有効に働かせるのですね。

つい我を忘れて感情で動いてしまう、ついカッとなって分別を失ってしまう……それもまた愛しい人間らしさと言えなくもないですが、ことによると人生は健全な方向感覚を見失い、迷走し、難儀な局面へと傾斜していくことにもなりかねません。

いついかなるときも、思慮深さを働かせるのは求めがたい。ですが、「自分で自分に因果を含める」ことを習慣化していくと、意思決定をする際に ”ゆとり” や ”あそび” が生まれやすくなります。それは取りも直さず、常に自分に「選択肢」があり、自らのふるまいを「選べること」を認識することなのです。

品位のある人間としてふるまうことを選ぶか……
品位を欠いた人間としてふるまうことを選ぶか……
いつだって自分で「選択できる」ということなんですね。

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