『ゴッドファーザー』感想考察※何度見ても興趣が尽きない名作

『ゴッドファーザー』

『ゴッドファーザー』(1972年)

主演:マーロン・ブランド/アル・パチーノ

第45回(1973年)アカデミー作品賞、男優賞、脚本賞受賞。シチリア人マフィア一族の盛衰と家族愛を描いた大河ドラマ。芸術性と娯楽性を見事に融合させて、興行的にも大ヒット。マーロン・ブランドの練達の演技は圧巻。無名に近かったフランシス・フォード・コッポラ監督とアル・パチーノの名を一躍有名にした傑作の魅力、見どころ、感想、考察。

出典:Amazon.com

この映画、こんなあなたにおすすめです!
  • 極端だけれど、溢れんばかりの「家族愛」を描いた作品がお好みの方
  • 教養として、名作映画を見ておきたい方
  • 名優の演技をたっぷり堪能したい方
  • 組織のトップ、リーダーを目指している方
  • 今のところ「家族を持たない」生き方を選んでいる方
目次

『ゴッドファーザー』一筆感想

ビバ!家族
『ゴッドファーザー』を見て感じた印象を筆のすさびで表現

あらすじ

シチリアからアメリカに渡り、一代でマフィアの組織を築きあげたヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)は、「偉大なるゴッドファーザー」として敬意を払われていた。
物語はヴィトーの末娘コニーの結婚式から始まる。

ヴィトーの3人の息子、ソニー(ジェームズ・カーン)、フレド(ジョン・カザール)、マイケル(アル・パチーノ)もコニーの門出を祝福する。

ヴィトーがとくに目をかけているのが三男マイケルだが、彼は裏社会の稼業を嫌い、恋人ケイ(ダイアン・キートン)とともにクリーンで堅実な道を歩もうとしていた。
ところが結婚式からしばらく経ち、敵対する組織からヴィトーが銃撃されてしまう。
事件をきっかけに、マイケルは忌み嫌っていた血なまぐさい世界に足を踏み入れる……

『ゴッドファーザー』解説・レビュー

『ゴッドファーザー』個人の評価

年齢を重ねるにつれて面白さがわかる作品

オールタイム・ベストにも選出される『ゴッドファーザー』。
劇場公開から半世紀経ても、その人気はとどまるところを知りません。
2022年には、「4K Ultra HD+ブルーレイセット コレクターズ・エディション」が発売されました。

多くの名作がそうであるように、『ゴッドファーザー』も見る人の年齢によって、鑑賞後の印象が変わる映画です。
若者が見ても十分楽しめますが、社会経験を重ねた中高年の人が見ると、細部にまで目が行き届いて、若いときには捉えることのかなわなかった人間の機微の描き方に一驚します。
その奥深い佳味と卓抜した芸術性に胸が熱くなり、心を鷲づかみにされるのです。

『ゴッドファーザー』はただのギャング映画・マフィア映画ではなく、時代を経ても変わらない普遍的な人間のテーマを中心に据えられているため、深みと広がりがあります。
人間なら避けて通れない、組織対組織の抗争や、家族との葛藤を軸にダイナミックなストーリー展開━━ 。
非情だけれど温かみが通いあう「ファミリーの結束」の描き方━━ 。
見れば見るほど緻密に計算され尽くしているように見えます。

この映画には、万国共通の、人の心の芯にまで届く強烈な訴求力をもっているのでしょう。

ニーノ・ロータの音楽も、もの哀しい叙情性を湛えていて、コルレオーネ一家が紡ぎ出す、滋味豊かな世界観の醸成に一役買っています。
どこまでも格調高く、高貴な哀調を帯びた「愛のテーマ」は一度聞いたら忘れられません。

僕はもう何度も『ゴッドファーザー』を見ていますが、見るたびに発見や驚きがあります。
10年後、20年後に見たら、その年齢にふさわしいおかしみを感じられるでしょう。

父・ヴィトーの人格的陰影の魅力、息子・マイケルの硬質な魅力

『ゴッドファーザー』の主役は、初代ドン・コルレオーネこと、ヴィトー(マーロン・ブランド)と、三男マイケル(アル・パチーノ)の二人。
風格と威厳を損なうことなく老いに向かっていくヴィトーと、犯罪組織のボスとして成長してゆくマイケル、ふたりが対照的に描かれているところに興趣が尽きません。

ヴィトーの魅力は、自らの武侠と覚悟を恃みに生きてきた者がもつ、豊かな人格的陰影と起伏です。
人の心を突き動かす生彩を放っています。

無駄な殺生はせず筋目を通し、勢威と影響力を高め、今では「ドン」の尊称で呼ばれるほど功成り名を遂げたヴィトー。
「恩には恩を、裏切りには恐怖と復讐で報いよ」という非情なシチリアの掟は、彼にとっては実際的で有効な生存戦略として機能したのでしょう。

ヴィトーが何よりも大切するのが「家族」です。
血の気の多い直情タイプの長男ソニー、柔弱タイプの次男フレド、そして大学出で第二次大戦の兵役から帰ってきた優等生タイプの三男マイケル、養子にしてファミリーの相談役のトムに、末娘コニー。
父ヴィトーが、とりわけ可愛がったのは三男マイケルでした。
父は三男を、「表」の政治の世界で活躍させたいと考えていたようです。
ところがヴィトーが病に倒れたあと、一家の後を継いだのはソニーでもなく次男のフレドでもありません。

マイケルが跡目を相続するのです。

ファミリーの中でもっともマフィアの仕事を毛嫌いしていたマイケルが、父ヴィトーとはタイプの異なるマフィアに変貌を遂げていくという皮肉━━ そこに『ゴッドファーザー』に味わい深いコクがあります。

マイケルがその硬質な魅力を発揮するのは、ニューヨークから高跳びしたシチリアでの場面です。
アメリカにケイという婚約者がいながらも、シチリアで見初めた美しい娘アポロニアと結婚します。
マイケルにためらいや葛藤は見られません。
詩情豊かなシチリアの景観と、マイケルの静かな狂気が不思議なくらい馴染んでいて、われ知らず引き込まれてしまいました。

壮絶なバイオレンスによって際立つ「ファミリーの結束」

『ゴッドファーザー』は、裏社会を舞台にしたバイオレンス映画というイメージがあります。
たしかに壮絶な暴力や殺戮がちりばめられた映画ですが、それらはあくまでコルレオーネ・ファミリーの結束を引き立たせる「舞台装置」にすぎません。

陰謀と裏切り、血で血を洗うショッキングなシーンは、見る者を魅了し、震撼させる力があります。
とはいえ、単純な映像的刺激を狙った暴力描写ではありません。
どこか「必然性のある暴力性」なのです。
予想はしていたけれど、すさまじいインパクトのある光景に唖然としてしまう。
「瞠目せしめる」という表現がぴったりです。

さきほど「必然性のある暴力性」と書きましたが、もちろん暴力を容認しているわけではありません。
目的達成のためなら手段を選ばない冷酷非情な掟の裏にあるのは、強固な「ファミリーの結束」です。

血で繋がったファミリーと、掟で繋がったファミリーのためなら、ヴィトーはいつでも身を捨てる覚悟があります。
その覚悟や気概が、ファミリーの結束を揺らぎ難く、強固なものにしているのです。
コルレオーネ一族の栄光と悲劇をていねいにすくいあげながらも、「ファミリーの結束」と「冷酷非情な掟」が背中合わせの関係であることを鮮やかに示しているところに『ゴッドファーザー』の巧みさを感じさせます。

どぎつく、明快で、力強く、誤解のしようがない━━ そんな身もフタもないバイオレンスが横溢したこの映画は、どこか別世界の非常識な一族のドラマではありません。
家族・組織に属するすべての人に「身に覚え」のある物語だからこそ、『ゴッドファーザー』が時代を超えて愛されるのでしょう。

組織のトップや経営者に、『ゴッドファーザー』を好きな人が多いのもうなずけます。

『ゴッドファーザー』のキャストについて

ゴッドファーザー3部作 Blu-ray
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ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)

冷徹なドンを演じたマーロン・ブランドの存在感には、特別な威厳が具わっています。

何度見ても、この人が醸し出す陰影の味わいは薄らぐことがありません。
むしろ見るたびに種類の異なる芳醇テイストを楽しめる。
『ゴッドファーザー』の巨大なスケールは、ブランドの役者的スケールの大きさに負うところが大きいです。

この人がヴィトーの役づくりのために参考にした人がフランク・コステロというマフィア。
頬の内側に綿を入れてつくりあげた威厳のある面構え、穏やかだけれど凄みのあるしゃがれ声、つかみどころがないけれど相手に安心感を与える尊厳さ。
本物のマフィアと見紛うほど、数々の修羅場や愁嘆場を潜り抜けてきた男の覇気と色気を表現しています。

この人の持つ豊かな稚気は、大人(たいじん)の貫禄と危ういバランスを上に共存し、打ち消しあうことはありません。
むしろ、稚気と貫禄はマーロン・ブランドの中で互いに補完しあっているかのようです。

不思議なことに、ブランドは演じているように見えません。
ヴィトー・コルレオーネを演じているというより、ヴィトーを「マーロン・ブランド化」させたかのよう。
だから身のこなしも自然だし、語る言葉も無理がない。

終始一貫して、どこか瞑想的な風情をたたえていますが、内面には激しいパトスを湛えていることが観客にもわかります。
どこまでも自分を破綻させながら新たな自分を創造していく俳優芸術の醍醐味を堪能しているようです。

迎合も忖度もこの人には「死」を意味するのかもしれません。
”自分を売り込まない” スタイルの貫徹を通して、自分を売り込む練達の芸風は、「ゴッドファーザー」で頂点を極めています。

とまれ、見ているだけで贅沢な気分になれる役者はそうお目にかかれるものではありません。
マーロン・ブランドが20世紀最高の俳優と評価されるのも、むべなるかなといったところです。

マーロン・ブランド豆知識

1972年当時、マーロン・ブランドは扱いにくい役者でした。映画出演のたびに制作側とのトラブルが絶えず、スキャンダルにもこと欠きません。おまけに法外なギャラを要求するとくれば、誰もブランドを起用したがらないでしょう。それでも制作のアルバート・S・ラディとコッポラは、あきらめなかったようです。もしパラマウント側の当初の思惑どおり、ローレンス・オリヴィエがヴィトーを演じていたら、今とはまったく趣の異なる『ゴッドファーザー』が生まれていたでしょう。結果的に『ゴッドファーザー』は非常に高い評価を受けて、興行的にも成功をおさめました。ところが、マーロン・ブランドは今作で2度めのアカデミー主演男優賞を受賞するも、受け取りを拒否。彼の代理として姿を見せたのは、ネイティブアメリカンの姿をしたサチーン・リトルフェザーという女性でした。映画やテレビがネイティブアメリカンを不当に扱っていることへの抗議としてのパフォーマンスでしたが、会場から激しいブーイングを浴びます。いかにもマーロン・ブランドらしい反骨精神が感じられるエピソードです。

マイケル(アル・パチーノ)

『ゴッドファーザー』に出演するまでは、ほとんど無名の役者だったアル・パチーノ。
マイケル役で一気にスターダムに駆け上がって、続く「PARTⅡ」でも貫禄のある演技を見せています。

当初パラマウント側は、マイケル役としてウォーレン・ベイティやロバート・レッドフォードを考えていたそうです。
うーん、マイケル役としてちょっと想像できません。

マイケルが誠実な好青年から一家のドンになっていく過程は、わざとらしさがなく、運命に対する潔さ、真摯な覚悟のほどがうかがえます。

父・ヴィトーは「冷徹」なら、息子・マイケルは「冷酷」といっていいかもしれません。
ヴィトーにはあたたかい人間味が通っていますが、マイケルはどこまでも冷たい。
しかし、その硬質な冷酷さに抗いがたく惹かれてしまうのです。
はつらつさを抑えた憂愁を漂わせたたたずまいが、マイケルを気高くしています。
アル・パチーノの秀抜なセンスと技倆を感じさせる役づくりのたまものといえましょう。

父のように一族の結束を強めようともがき、苦悩するマイケルの演技はどこまでも充実していて、最後の最後まで若いドンの運命を見届けたくなります。
今作を見終えたら、そのまますぐに「PARTⅡ」を見ないわけにはいかなくなるのです。

アカデミー主演男優賞受賞は『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(1992年)まで待つことになりますが、すでに『ゴッドファーザー』でアル・パチーノは名優入りした感があります。

トム・ヘイゲン(ロバート・デュバル)

ヴィトーの養子。血の繋がりがないけれど、コルレオーネ一家の相談役兼弁護士として辣腕をふるいます。

理知的で抑制された演技力は秀抜。
終始穏当な姿勢で交渉に当たりながら、屈託や逡巡をさりげなく表現する芸風は、インテリジェンスで端正です。

この人の存在は、コルレオーネ一家の品格に黒い輝きを与えています。
「PARTⅡ」でもその存在感は色褪せていません。
それだけに「PARTⅢ」への出演がかなわなかったのが残念です。

ヒット作品のスピンオフ作品やリブート作品はそれほど好むところではありませんが、トム・ヘイゲンの物語は見てみたい。
この人の屈託にならいくらでもつき合いたいですね。

ちなみに、ロバート・デュバルは同じコッポラ作品『地獄の黙示録』にも出演。
忘れがたい演技を見せています。

ソニー(ジェームズ・カーン)

ヴィトーの長男。
本来ならこの人がヴィトーの後継者になるはずでしたが、不幸な事件によってマイケルが跡目を継ぐことになります。

血の気の多いソニーは、父・ヴィトーとは似ても似つかない。
そのヤンチャでがらっぱちな性格のまま「ドン」になったところで、ことによるとファミリーを危うくしたかもしれません。

個人的には、ソニーのキャラクターは嫌いではありません。
我も忘れてカッとなる、そのキレ方や狂犬っぷりが、「絵」になるのです。

もしかしたら、ソニーの凶暴さは、深作欣二監督に影響を与えたのかもしれません。
『仁義なき戦い 広島死闘篇』の千葉真一に通ずるものが感じられるからです。
(千葉真一のキレ方も素晴らしい)

でも、ソニーの怖さは、まだ甘いのかもしれません。
本当に恐ろしいマフィアのやり口は、狂犬のようにキレることはないからです。
まず相手にやさしさを示し、ねぎらいの言葉をかけて安心させてから、躊躇なく、無慈悲に、完膚なきまで叩き潰す━━ これがマフィアの怖さなのです。

ソニーを演じるジェームズ・カーンについても述べておきましょう。
役者として素晴らしくクレバーな人だと感じます。
監督コッポラが欲しがっていたキャラクターを適確にとらえ、見事に演じて提供したのではないでしょうか。

『ゴッドファーザー』作品情報

監督フランシス・フォード・コッポラ
脚本フランシス・フォード・コッポラ/マリオ・プーゾ
原作マリオ・プーゾ
撮影ゴードン・ウィリス
音楽ニーノ・ロータ
出演・ヴィトー・コルレオーネ・・・マーロン・ブランド
・マイケル・・・アル・パチーノ
・ソニー・・・ジェームズ・カーン
・トム・ヘイゲン・・・ロバート・デュバル
・フレド・・・ジョン・カザール
・コニー・・・タリア・シャイア
・ケイ・・・ダイアン・キートン
上映時間177分
ジャンルヒューマン
まめやかコラム

【コラム】家族という軛(くびき)と絆(きずな)

マフィアの一族を描いているとは言い条、『ゴッドファーザー』は家族映画である、というのが僕の認識です。

個人の自由が尊重される社会において、家族を持たないという選択をする人も増えてきました。
ひとりで生きる人の尊厳が守られる社会であってほしいです。

いっぽうでこうも思います。
家族という「軛」(くびき)から解放されることで、同時に「絆」も絶たれてしまうのではないかと。
「軛」とは、自由を制限するしがらみであり、「絆」とは、不確実な人生において困ったときは助け合う相互扶助という意味です。

また、ひとりで生きているかぎり、過去・現在・未来をつなぐ役割を担わなくてすむかわりに、その役割がもたらす人間的な喜びは得られないでしょう。

家族をつくるとなると、ひとりで生きる気楽さとは訣別しなければなりません。
しかし、誰かと生きる面倒くささを通してしか味わえない充足感があり、生命の根底から鼓舞されるような歓喜があります。
それは人間的な成熟を促す充足や歓喜ではないでしょうか。

家族や結婚に抵抗がある人でも、価値観や志を同じくするパートナーとともに生きるのには反対されないでしょう。パートナーがそばにひとりいるだけでも、生きやすくなるのは間違いありません。
そして、パートナーがひとりいるだけでも、それは立派な「ファミリー」です。

たとえ血のつながりがなくても、籍を入れなくても、「ファミリー」を形成できるのは、人間の持つ特筆すべき能力です。
『ゴッドファーザー』を見るたびに、いつも「ファミリー」への強い憧れを掻き立てられます。

\ 記事を読んでいただき感謝!/

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