映画『風と共に去りぬ』感想と考察※いまだ世界を魅了し続ける麗しき不遜さ

『風と共に去りぬ』

『風と共に去りぬ』(1939年)

主演:ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/オリヴィア・デ・ハヴィランド

原題:Gone With the Wind
激動の南北戦争前後のアメリカ南部を舞台に、不屈の精神を持つスカーレット・オハラのたくましい生き方を描いた作品。アカデミー賞10部門獲得と破格の制作費は映画史に残るレジェンド。公開後、80年以上経ってもいまだ繰り返し鑑賞される、名にし負う歴史ロマンスの最高峰『風と共に去りぬ』のあらすじ、感想、考察、キャストの魅力などを綴ります。

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  • 『風と共に去りぬ』の作品情報、あらすじは?
  • みどころ、感想は?
  • 出演者の魅力は?
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目次

『風と共に去りぬ』(1939年)作品情報

一筆感想

タラ
『風と共に去りぬ』の感想を筆のすさびで表現

『風と共に去りぬ』データ

第12回アカデミー賞では10部門受賞
作品賞/監督賞/主演女優賞/助演女優賞/脚色賞/撮影賞(カラー)/美術賞/編集賞/特別賞/技術成果賞

監督ヴィクター・フレミング(監督賞)
脚本シドニー・ハワード(脚色賞)
制作デヴィッド・O・セルズニック
撮影アーネスト・ホーラー/レイ・レナハン(撮影賞)
音楽マックス・スタイナー/ルー・フォーブス
美術ライル・ウィーラー(美術賞)
衣装ウォルター・プランケット
編集ハル・C・カーン/ジェームズ・E・ニューカム(編集賞)
原作マーガレット・ミッチェル
出演スカーレット・オハラ – ヴィヴィアン・リー(主演女優賞)
レット・バトラー – クラーク・ゲーブル
アシュレー・ウィルクス – レスリー・ハワード
メラニー・ハミルトン – オリヴィア・デ・ハヴィランド
マミー – ハティ・マクダニエル(助演女優賞)
上映時間231分
ジャンル歴史/ロマンス

『風と共に去りぬ』あらすじ

19世紀、南北戦争直前のアメリカ南部ジョージア州の町タラ。
農場経営で功成り名を遂げたオハラ家の長女スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は引く手あまたの美貌の持ち主。
だが手のつけられないほど勝手気ままで、メイドのマミー(ハティ・マクダニエル)も手を焼いていた。

ある日、スカーレットにはとうてい承服しがたい事件が起こる。

彼女が狂おしいほど愛していたアシュレー・ウィルクス(レスリー・ハワード)が、メラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)と婚約したのだ。メラニーはスカーレットとは対照的な淑女である。
分別を失ったスカーレットは、メラニーの兄チャールズと結婚。ほとんど腹いせとやけっぱちだった。

ちょうどその頃、一癖ある男レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)がスカーレットたちの前に現れる。
戦争直前の北軍と南軍を渡り歩き、物資を売りさばいて富を得たやり手の紳士だ。
彼は気丈なスカーレットに岡惚れする。

やがて南北戦争が勃発。
何不自由なく育ったスカーレットの人生にも大きな波乱が訪れる。

男たちは出征し、チャールズは戦死してしまう。
後家になったスカーレットは戦火を逃れるためにタラの地を離れ、戦傷病者への慣れない看護に明け暮れる日々を送る。

レットは、スカーレットの境遇も彼女のわがままもすべて受け入れたうえで、彼女に熱烈な求愛を続ける。
だがアシュレーへの未練のためか、彼女の態度はにべもない。

スカーレットはレットの助けを借りて出産後体調の思わしくないメラニー母子とともに故郷に帰るが、レットと途中で別れてしまう。女だてらに馬車を駆って命からがら戻ってきたスカーレットに待ち受けていたのは、焦土と化したタラの地であった。

屋敷は無事だったものの、母は病死し、全財産はほとんど無きに等しい。
父の手に握られた南部同盟の公債は紙くず同然だった。

絶望に打ちひしがれるスカーレットは、荒廃したタラの大地にひとりたち、たとえ盗みをし、人を殺してでも二度と飢えに泣かないと心に誓う。

時は流れ、アシュレーを忘れられぬまま、スカーレットは妹のフィアンセ・フランクと強引に結婚。
明らかに金目当ての結婚だが、彼女に悪びれる様子はない。
フランクの経済力を利用して木材会社の一切をきりまわし、たくましく財力をつけていく。

やがてアシュレーが復員し、レットとも再会をはたすスカーレットの運命は……

『風と共に去りぬ』のみどころ・感想

『風と共に去りぬ』感想・レビュー

通俗の偉大さ

歴代の興行収入トップ(インフレ調整後)。
公開から80年以上経っても、名作映画の輝きは色褪せません。

4度目の視聴にして、壮大な大衆娯楽、どストレートな通俗映画の偉大さをあらためてかみしめました。

『風と共に去りぬ』はアメリカの歴史をわからなくても楽しめるし、晦渋さはまったくありません。
長編大作だけど冗長大味の弊に陥っていないのは、大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックの辣腕に深く与っています。しかも泣く子も黙るテクニカラー。「タラのテーマ」も忘れがたい出色の映画音楽です。

あの時代にこんな大作を作るだけの国力があるのだから、日本がアメリカに勝てるわけがないのは火を見るよりも明らかなのに。あなたがこれから『風と共に去りぬ』を視聴されるなら、1939年の作品だという事実を忘れないでください。
1939年(昭和14年)、日本はどんな状況だったかを。

ここでひとつ告白しておくと、一度鑑賞しただけで『風と共に去りぬ』の本当の良さはではわかりませんでした。
はじめて観たときはスカーレット・オハラのあの鼻っ柱の強さに馴染めず、「手のつけられないじゃじゃ馬だなぁ」と辟易したものです。「この映画はヒロインで損してるなぁ……」と今から考えると皮相な評価しかできなかったんですね。

ところが、少しだけ着眼点を変えてちょっと俯瞰気味で鑑賞すると、『風と共に去りぬ』の通俗性・娯楽性が俄然楽しくなってきて、「ああこれはやっぱりグレイトな映画だなぁ」と遅まきながら一驚を喫しました。

心の中に「タラ」がある人生、ない人生

そもそも『風と共に去りぬ』を歴史大河ロマンスという先入観で鑑賞したのが間違いでした。
この作品は、「タラ」の物語として観るとすんなりと入ってくる。主役が「タラ」というのではなく、「タラ」を中心に据えた人々の物語として。

オハラ家はアイルランド移民であり、「タラ」の地はアイルランド移民の “聖地” と考えるとわかりやすいかもしれません。
スカーレットが何度試練に立たされても、彼女はへこたれることなく「タラ」を強く想う。
「タラ」が彼女の情熱を掻き立て、闘魂を注ぎ込む。

ヒロインにとって「タラ」とは熱源であり、哲理であり、拠って立つ基盤です。
“聖地” とはそういうものではないでしょうか。

そこに思い至ってからというもの、「心の中にタラを持て!」というフレーズが頭の中でリフレインするようになりました。「タラ」を持つ人生と持たない人生とでは、その内実や目にする風景が大きく異なるのは間違いありません。

『風と共に去りぬ』を「タラ」の物語と考えれば、スカーレット・オハラの「おめず臆せず」な不遜の魅力がググッと説得力を伴って心に届いてきます。初見のときは、彼女の傲慢さが鼻についたけれど、いまでは気高き独立不羈の精神を持つ女性と思えてくるようになりました。そんなスカーレットの胸底に揺るぎない「タラ」が存在するのは言うまでもありません。

映像的なスペクタクルは前半に集中しているけれども、前半を見終えたら、「タラ」をめぐる人間ドラマにさいごまで目が離せなくなります。夜更かしして明日の朝がつらくとも、「明日は明日の風が吹く」とラストまで一気見してしまう。

なぜ、わがままスカーレットは世界を魅了し続けるのか?

女性から見て、スカーレットという女性像はどうなんでしょう。
鼻持ちならないと感じる人もいるだろうけど、きっと多くの女性がこの名作のヒロインを支持するのではないでしょうか。

『風と共に去りぬ』では、次から次へとスカーレットに逆境や試練が押し寄せる。
まるで彼女があらゆるトラブルを引き寄せているみたいです。
あるいはそれがスカーレットが愛されて共感されるポイントなのではないかと。

もしもスカーレットが何もかもを手に入れて、高らかに哄笑して幕を閉じる物語なら、観客は許さないのではないでしょうか。少なくとも物語としては大味で痩せて貧相になっていたのは想像に難くありません。
つまり逆境・困難含めてのヒロインとして、スカーレットは仰ぎ見られる存在なのです。

北軍の手に落ちて、焦土同然のタラの地に立ち、「盗みをし、人を殺してでも、家族に二度とひもじい思いをさせない」と捲土重来を期すスカーレットの不屈の精神は、あらゆる倫理やモラルをまたぎ越して観客の心を根っこから揺さぶるでしょう。「きれいごとだけでは世知辛い世の中をわたっていけない」というリアリズムはすこぶる痛快で、観客の心にパワフルな「野性味」を呼び起こします。

厳しい現実に立ち向かうスカーレットは、旧弊な男社会や家父長制イデオロギーに立ち向かう女性たちにとって胸をすくようなキャラクターなのかもしれません。厳しい立場で孤軍奮闘する人や、アゲインストでも進まざるをえない人は、スカーレト・オハラに自分を投影し、自らを鼓舞するでしょう。昔も、今も、これからも……。

” Tomorrow is another day “(明日は明日の風が吹く)という台詞は、わがままで不遜で麗しきヒロインが言うから、人生と格闘している人に一陣の涼風と活力を与えるのではないでしょうか。

『風と共に去りぬ』のキャストについての考察

『風と共に去りぬ』キャストについて

ヴィヴィアン・リー(スカーレット・オハラ役)

スカーレット役が決定するまでの逸話は語り草になっています。
クラーク・ゲーブルに似合うスカーレット役をアメリカ全土から探し、徹底的なスクリーンテストを実施。
プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニック1400人以上と面接し、最終3人の女優を絞りこんでもまだ決まらなかったので、ヒロイン不在のままアトランタの大火のシーンから撮影を始めたそうです。

結局、スカーレット役を射止めたのは、英国の女優ヴィヴィアン・リーでした。恋人であるローレンス・オリヴィエに会うためにハリウッドを遊びにきていた彼女に、セルズニックの目は釘付けになる。やっとスカーレットをみつけたぞ!」と快哉を叫んだかもしれません。

クールにしてゴージャス、まゆを上げる独特の表情はため息がもれるほど美しい。
華奢なからだに、エゴも虚栄も打算も野心もすべてつめこんで突き進む姿は神々しささえ感じ
させます。

情熱的でみずみずしい生命力をたたえたスカーレットにさいごまで土の匂いをまとわせた演技は比類のないほど素晴らしい。ヴィヴィアン・リーの感情の起伏の激しさは、スカーレット役でおおいに活かされたのでしょう。見事なアイルランド魂を体現し、観客の心を惹きつけてやみません。

今作でオスカーを獲得したヴィヴィアン・リーは、映画女優というより舞台女優としての矜持が強かったようです。
ところが1951年『欲望という名の電車』で、彼女と真骨頂とも言える達演を見せて2度めのオスカーを受賞。
スカーレットとはまた違うかたちでリーの危うさが見事に表現されていて、観る者の心にたしかな爪痕を残す狂気をはらんだ演技でした。スカーレット・オハラ役を演じることがなければ、たどり着けなかった円熟の境地といえるでしょう。

クラーク・ゲーブル(レット・バトラー役)

ハリウッドの「キング」という愛称にふさわしい演技です。
恰幅のよさ、風采の立派さ、押し出しの強さはけちのつけようがない。
さしものレスリー・ハワードも、ゲーブルと並ぶといささか線が細く見えます。

クラーク・ゲーブルの役者人生において『風と共に去りぬ』に出演当時は、もっとも脂ののりきっていた時期だったことでしょう。キングの芸格は尋常一様ではない輝き方をしています。輝きはあるけど濃厚すぎるのです。

レット・バトラーは紳士というにあまりに破格なため、野暮なふるまいすら色気が漂います。
ことさら「粋」を見せつけない抑制のきいた男気が、レットの人格に複雑な色味を与えているようです。

一筋縄ではいかないレットのような役柄が、ハリウッドの「キング」にはふさわしい。
この人には軽薄なだけの二枚目役は似合わないし、老け役をさせたら個性を枯らしてしまうでしょう。

今作では、威風あたりをはらう強さも見せながら、少年のような可愛らしさを見せたり、志操一貫を欠いたり、助平そうな含み笑いをしたり、純情と老獪を行ったり来たりして、さあらぬていで南北戦争前後のアメリカを優雅に渡り歩いている。酔態にも、嫉妬にも、絶望にも、たくまざる伊達男の風格が漂わせるのだから、もう降参するしかありません。

映画の後半、ひときわ鮮やかに心に残るシーンがあります。
スカーレットを子どものように抱きかかえ、強引に階段をかけ上がって闇に消えていくレット・バトラー。さしものスカーレットも「もう好きにして!」といわんばかりに子猫のようにおとなしくなっている。
世界中の色男たちの荒肝をひしぐような、有無を言わさぬセクシーさをたたえていて、「なんと優雅でダンディな野獣なんだろう」と憧憬だか嫉妬だか敗北感だかが一緒くたになって不思議な感慨を禁じえないシーンです。
なにしろ「キング」ですからねえ。

オリヴィア・デ・ハヴィランド(メラニー・ハミルトン役)

スカーレットとは対照的な女性です。
知性にあふれるかんばせ、楚々としたたたずまいは、人の心を無防備にする中庸の美をたたえています。

メラニーは夫アシュレーを想い続ける未練がましいスカーレットにもやさしい。
どんな人間にもわけへだてなく思慮深く、虚心坦懐に接し続けます。
「聖母」のごとき存在感の彼女を見ているうちに、これまでの愚行をすべて赦してもらい性根を浄められた気分になって心が安らいでくる。

ただこの人の「聖母の慈しみ」にはどこか陰りがあるのです。
清らかさが内にこもっているようで、やさしいまなざしはどこか哀しい。
それでいて一歩も退かない意志の強さも感じさせて、ときとして冷やかさも感じさせる。
それは明らかにスカーレットとは異質の強さです。

実際のオリヴィア・デ・ハヴィランドは、メラニーのような清らかな女性ではなかったそうです。
直情的でめっぽう気が強く、妹であるジョーン・フォンテインとの確執は有名でした。

1941年『断崖』で先にオスカーを受賞した妹を、姉であるデ・ハヴィランドは素直に喜べなかったという。
その証拠に1946年『遥かなる我が子』で念願のオスカーを獲得したデ・ハヴィランドは、フォンテインからの祝福をにべもなく拒絶。スカーレット顔負けの気性だったのが興味深い。グッときます。

『女相続人』(1949年)や『ふるえて眠れ』(1964年)で演じた悪女役が、あるいは彼女の真骨頂かもしれません。

でもこうも考えられます。
人並み以上の冷徹さがないと、あの陰影に富んだ「聖母の慈しみ」は表現できないのではないかと。
メラニーをよく観察すると、いたるところに彼女特有のしたたかさが、その “地肌” をのぞかせている。
その強烈なエゴと献身の拮抗が、彼女に複雑なエレガンスを屹立させています。

デ・ハヴィランドにしか演じることができない「陰りある聖母」。
彼女は波乱含みのこの大作における良心的存在であり、優美な彩りを添えていることに疑う余地はありません。

ハティ・マクダニエル(マミー役)

代々オハラ家に仕えてきた彼女のたくましさ、腰の据わり方には真摯さがあふれています。
それでいて深刻になりすぎないように目配りが行き届き、弾けるようなウィットとユーモアが微笑ましい。
からだ全体で善良さを表現するとこうなるという理想のありかたです。

全身に精気をみなぎらせながら、ときにやさしくスカーレットをたしなめ、ときに滑稽にからだを揺らせてシャウトするマミーの存在が、重厚な『風と共に去りぬ』に親密なふくよかさを与えています。
スカーレットとレットだけでは、クドくなりすぎて胸焼けしてしまい、4時間見続けるのはちときびしい。

オスカー受賞も納得できる素晴らしいパフォーマンス。
機敏でそつがない。じゅうぶん心がこもっています。
カラリと晴れた午後に、水洗いしたシャツをぎゅっと絞って水気を落とし天日干ししたような、気持ち良い演技です。

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