『ゴッドファーザーPARTⅡ』考察とレビュー※芳醇な詩情をたたえた冷酷さ

『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1974年)

主演:アル・パチーノ/ロバート・デ・ニーロ

1972年公開の第1作に優るとも劣らない映画史に燦然と輝く名作。1950年代後半、父・ヴィトー亡きあと、ほとんど押し出されるようにゴッドファーザーになった三男マイケルの血なまぐさい抗争や苦悩、喪失を描く。20世紀初頭、若かりしヴィトーの物語も重層的に織り込まれて荘重な叙事詩を展開する。『ゴッドファーザーPARTⅡ』の考察・レビューをお届け。

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目次

『ゴッドファーザーPARTⅡ』作品情報

監督フランシス・フォード・コッポラ
脚本フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ
制作フランシス・フォード・コッポラ
撮影ゴードン・ウィリス
音楽ニーノ・ロータ、カーマイン・コッポラ
出演・マイケル・コルレオーネ:アル・パチーノ
・ドン・ヴィトー・コルレオーネ(若き日):ロバート・デ・ニーロ
・フレド・コルレオーネ:ジョン・カザール
・トム・ヘイゲン:ロバート・デュヴァル
・コニー・コルレオーネ:タリア・シャイア
・ケイ・アダムス・コルレオーネ:ダイアン・キートン
・ハイマン・ロス:リー・ストラスバーグ
・フランク・ペンタンジェリ:マイケル・V・ガッツォ
上映時間200分
ジャンルヒューマン

『ゴッドファーザーPARTⅡ』のあらすじ

1950年代、コルレオーネ家の三男、マイケル(アル・パチーノ)は、父ヴィトーの遺志を継ぎ、ドンとしてファミリーに君臨する。拠点をニューヨークからネバダ州に移し、複数のカジノホテルのオーナーとしてビジネスを精力的に展開していた。

長男アンソニーの初めての聖餐式を祝うパーティーの席上に、組織の幹部フランク・ペンタンジェリ(マイケル・V・ガッツォ)がニューヨークからかけつける。彼はマイケルに、対立しているロサト兄弟を抹殺する許可を求めてきたのだった。

だがマイケルは首を縦に振らない。ロサト兄弟の後ろには、かつて父ヴィトーのビジネスパートナーでもあったハイマン・ロス(リー・ストラスバーグ)が控えているからだ。マイケルとしては、ロスと事を構えたくはない。

夜になって、マイケルは妻ケイ(ダイアン・キートン)と自宅寝室にいるとき、凄まじい銃撃を受ける。
なんとか事なきを得たマイケルだったが、銃撃犯は死体として発見されたため誰の差し金かわからない。
真相解明のため、マイケルはハイマン・ロスのいるマイアミに向かう。

やがて黒幕と内通者が明らかになるにつれ、ファミリーの間で抜き差しならない確執が生じる。深い孤独を味わいながら、ドンとして冷酷非情に徹するマイケル。そんな孤独な彼の心をあたたかく励まし、支え続けているのが、今は亡き父ヴィトー(ロバート・デ・ニーロ)の面影だった。

『ゴッドファーザーPARTⅡ』のみどころ・考察

『ゴッドファーザーPARTⅡ』考察とレビュー

続編につきまとうジンクスを打ち破る「香り高き逸品」

『ゴッドファーザーPARTⅡ』は、前作からさらに複雑さと重厚さを増した香り高き逸品だ。
大ヒット作品には「続編は第1作目を超えられない」という切ないジンクスがあるが、『PARTⅡ』は気持ちいいくらい打ち破っている。

第47回 アカデミー賞(1975年)では6部門でオスカーを獲得。

作品賞
監督賞フランシス・フォード・コッポラ
助演男優賞ロバート・デ・ニーロ
作曲賞ニーノ・ロータ、カーマイン・コッポラ
脚色賞フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ
美術賞ディーン・タヴーラリス、アンジェロ・グレアム

興行収入は前作には一歩及ばなかったとはいえ、ヒット作品であることは間違いない。
芸術と娯楽のみごとな融合という意味でも、『ゴッドファーザーPARTⅡ』をオールタイムベストに挙げる声も多い作品である。撮影期間が22週間というのもむべなるかなといったところだ。

交錯し絡み合う、2つの物語

『PARTⅡ』の白眉は、なんといっても、ストーリーの二重構造だ。
ファミリーの2代目マイケルが活躍する現代(1950年代後半)と、父ヴィトーが故郷シチリアから渡米してファミリーを築いていく前日譚(20世紀初頭)が交錯し、対照させ、絡み合わせながら、物語世界は奥行きと広がりを獲得してゆく。

まさに、コルレオーネ一家の斜陽と黎明をあざやかに描いた壮大な「サーガ」といえよう。

起伏に富んだ2つの物語が、どのような水路をたどり、紆余曲折を経て、しかるべきところに収斂していくのか……あるいはダイナミックな円環が閉じられるのか……これは実際に見ていただきたい。

物語のラストでひとり佇むマイケル・コルレオーネの姿に、感傷や憐憫をきっぱり退けるほど救いのない孤独にいることを示唆している。『PARTⅡ』の深遠な物語に触れた人は、ずっしり重量感のある槌で確かな狙いをつけて、心臓にくさびを打ち込まれたような衝撃を体験するだろう。

不在の存在感「マーロン・ブランド」

『PARTⅡ』には芸術娯楽作品としてさしたる瑕瑾はないけれど、なんとなく「画竜点睛を欠く」感を禁じえないのは、マーロン・ブランドの不在が目立つからだと思う。

当初、コッポラ監督は、若かりしヴィトー役にマーロン・ブランドの起用を考えていたのだが、ギャランティの折り合いがつかずかなわかった。当時のブランドなら、25歳のヴィトー役を造作なくこなしていただろう。

ブランドでなければヴィトーは務まらないというわけではない。
デ・ニーロはビィトーにそぐわないというわけでもない。
ひとつの正解しか許さないほどビィトー・コルレオーネというキャラクターは小粒・小体ではないのだから。

ただマーロン・ブランドの不在は、『PARTⅡ』でより色濃く彼の存在感を漂わせる結果になったのは特筆に値する。
たとえ出演がかなわなくても、マーロン・ブランドは存在感で出演しているのだ。

格調高く陰影豊かな世界観

200分間、ダレるところが1か所もないのは、独特の格調高く陰影豊かな映像に負うところが大きい。
前作同様、撮影を担当したゴードン・ウィルスの卓抜な職人技の精華だ。

前作ではコッポラ監督と始終意見をぶつけあっていたそうだが、『PARTⅡ』でも素晴らしい仕事ぶりを示せたのは、ウィルスもまんざらではなかったのだろう。

とくに前日譚である20世紀初頭のニューヨークの描出は、美しいセピアに染まったヴィンテージものの猥雑さで彩られていて当時の人々の息遣いが生き生きと伝わってくる。『ゴッドファーザー』の艷のあるダークな世界観は、ゴードン・ウィルス抜きにして語れない。まぎれもない芸術作品に仕上げている。

哀愁漂う「愛のテーマ」

哀愁を誘うニーノ・ロータの「ゴッドファーザー愛のテーマ」も効果的に使用されている。
実は、マイケルが活躍する現代編では、「愛のテーマ」は一度も流れていない。

前日譚でヴィトーがマフィアとして頭角を現し、シチリア島に里帰りするシーンでこの音楽が使われるのだ。
そういえば、前作もマイケルが初めて敵対するマフィアを殺し、雲隠れするためにシチリアに高跳びした場面で「愛のテーマ」が流れていた。とても印象的に、豊かな余韻を伴って。

「愛のテーマ」は映画の中でしょっちゅう流れているような印象があるけれど、実はここぞという場面で慎重に節度をもって使われている。郷愁と沈痛をさそう「装置」として。コッポラにとって思い入れの深い音楽なのだろう。

1950年代・マイケル編の考察

『ゴッドファーザーPARTⅡ』1950年代・マイケル編

【マイケル・コルレオーネ編 年表】

1958年

●コルレオーネファミリー、ネバダに本拠を構える

●クレメンザ亡きあとのニューヨークの縄張りをめぐって、フランクとロサト兄弟が激しいしのぎを削る

●長男アンソニーの初聖体拝領式を祝うパーティをタホ湖岸のコルレオーネ邸で開く

●コルレオーネ邸、深夜に襲撃される

●ロサト兄弟の後見役にして襲撃事件の黒幕ハイマン・ロスとマイケルが会談

●フランク、ロサト兄弟に襲われる

●マイケルを快く思わないギアリー上院議員の弱みを握るのに成功。議員をコルレオーネ家の傀儡にする

●フランク、マイケルに裏切られたと勘違いし、コルレオーネ家の実態を調査するFBIに与する

●マイケル、キューバのハバナでロスや財界の大物たちと会談

●兄フレドがハバナに到着

1959年

●マイケル、ロスから賄賂を用意するように要請される

●キューバ革命が起こる

●兄フレドがロスと内通している事実を知り、マイケル悲嘆に暮れる

●マイケルら、革命で混乱するハバナを脱出

●ワシントンDCで、マイケルを告発するための公聴会が開催

●フランク、証言台に立つが、マイケル側がフランクの兄の身柄を押さえていることを知り、証言を拒絶する

●母、カルメーラ死去

●フランク自殺

●マイケルの指令で、ロスとフレドを暗殺

1960年

●マイケル、堕胎したケイと離縁

前作から数年経過して、コルレオーネファミリーのビジネスは大きく展開している。
マイケルは知性と教養に不足はないビジネスマンだ。
しかし、妻・ケイとかわした「5年以内に裏社会から抜け出して、カタギになる」という約束はいまだ果たされていない。

考えてみたら、前作で、アイビーリーグを出て海軍で勲功あった三男マイケルが、対立するソロッツォと買収された分署長を射殺した瞬間から、後戻りのかなわない「ルビコン」を渡ってしまったのだろう。
今作ではもう青年の面影はなく、双眸は暗く深くなっている。

血で結ばれたファミリーと、血の掟で結ばれた組織のあいだで、苦悩し冷酷になっていくマイケルの姿は痛切だが凄みがある。誰よりもファミリーを絆を深めたいともがきあがいているマイケルが、皮肉なことにファミリーの中で孤独になっていく。『PARTⅡ』の象徴的なラストは鮮烈な印象を残す。

絶大な権力も金も手に入れたマイケルは、裏社会の「皇帝」だ。
ファミリーの弁護士として仕えるトム・ヘイゲン(ロバート・デュヴァル)が、FBIに保護されているフランクと面会し、「ローマ帝国では皇帝に謀反を企てた者でも、自殺すれば家族の面倒を見てもらえる」と因果を含める。
絶対権力者の「皇帝」には誰も逆らえない。

だが、「皇帝」といっても、マイケルという人物は、ユリウス・カエサルや、初代ローマ皇帝のアウグストゥスのタイプとはまるで違う。しいてたとえるなら、セプティミウス・セウェルスかもしれない。武将・軍人としての実力は申し分ないが、人間としての寛容さには欠ける。そしてセウェルスからあと、ローマ帝国は着実に崩壊へと向かっていく。

マイケル・コルレオーネ━━ そのたたずまいに豊かな詩情をたたえてはいる。
知性も度胸もある。
だが妥協を知らない冷酷さが、マイケルの人間性に暗い陰を落としている。
覇権への執念によって、倫理が衰退し家族に亀裂が生じていくさまは、座視するに忍びないほどだ。
マイケルを覆う、抜き差しならない孤独と悲哀が、『ゴッドファーザーPARTⅡ』に厳かな隈取りを与えているように思う。

20世紀初頭(前日譚)・ヴィトー編の考察

『ゴッドファーザーPARTⅡ』ヴィトー編の考察

【ヴィトー・コルレオーネ年表】

1891年

●シチリアでヴィトー・コルレオーネ誕生

1901年

●地元マフィアのボス、ドン・チッチオに、ヴィトーの父、兄、そして母が殺される

●ヴィトー、移民船に乗ってニューヨークへ

1910年

●ヴィトー、リトルイタリーの食料品店で働く

1914年

●生涯の伴侶、カルメーラと結婚

1916年

●長男ソニーが生まれる

1919年

●次男フレドが生まれる

●ヴィトー、リトルイタリーを牛耳るドン・ファヌッチに食料品店を追い出されて失職

●家族を養うために、クレメンザ、テシオとともに窃盗をはたらく

1920年

●三男マイケルが生まれる

●ドン・ファヌッチがヴィトーらにみかじめ料を請求

●ヴィトー、リトルイタリーの祭りの当日、ドン・ファヌッチを射殺。リトルイタリーの相談役として勢威と頭角をあらわしていく

●オリーブオイル輸入業「ジェンコ貿易会社」を設立

1923年

●長女コニーが生まれる

1925年

●ヴィトー、シチリア・コルレオーネ村に里帰り。仇敵ドン・チッチオを刺殺

●アメリカに帰国

若きヴィトーがいかにしてエミグラントからマフィアの頭目として頭角を現わすまでを、力強く、向日的に活写している。

故郷シチリアで、ドン・チッチオに家族を惨殺されたヴィトーは、わずか9歳でニューヨークに渡る。やがて成長し世帯をもつヴィトーは、生活のために犯罪に手を染めていく。

だがそこには暗さや歪みは感じられない。
ヴィトーとマイケルの最大の違いは、ビィトーは冷酷ではなく冷徹の人だということだ。
ゆえに、裏社会で力をつけていくヴィトーの物語は、移民の立身出世物語として応援したくなるから不思議だ。

フェスタ・デ・サンロッコのパレードを迎えた日、強欲な街の顔役ドン・ファヌッチを待ち伏せして、撃ち殺すシーンには溜飲が下がる。そして、貿易商として成功し、街の相談役となったヴィトーが、故郷シチリアに凱旋の里帰りをしてドン・チッチオに再会するシーンには息を詰めてしまった。

たしかにヴィトーは非情だ。事態が好転するのをのんびり手をつかねているような人ではない。
やるとなったらとことんやるし、常識に風穴開けて突き抜けきっていく。
だが、やりすぎの感はない。
「なにもそこまでやらなくても……」と困惑することもない。
ヴィトーが香らせる男の貫目に、見る者はすっかり惚れ込んでしまうからだ。

マイケルとヴィトーの2つの時間を見ているうちに、コルレオーネ一家の歩みは、20世紀アメリカの歩みと軌を一にしていることに気づく。冷徹と冷酷を行き来しながら、地歩を固めていった20世紀アメリカそのものの物語ともいえるだろう。

『ゴッドファーザーPARTⅡ』のキャストについて

『ゴッドファーザーPARTⅡ』キャストの考察

アル・パチーノ(マイケル・コルレオーネ)

映画の世界でほとんど無名の新人だったアル・パチーノの、前作での出演料は3万5千ドル。
『PARTⅡ』では、50万ドル+利益の1割というから、まさにアメリカンドリームだ。

明朗さや諧謔味、稚気に欠けるが、陰りある魅力はこの人にしか出せないと思う。
アル・パチーノの気難しげな個性は、役柄を選んでしまうのかもしれない。
ダスティン・ホフマンとは対極の存在といえるだろう。

ところが、この人の「鬱屈した華」は、シリアスな犯罪映画で目を惹くことになる。
『PARTⅡ』で、妻・ケイから衝撃の告白をされたマイケルが激高し、彼女をひっぱたく場面は忘れがたい。
溜めに溜めて、怒りを爆発されるマイケルの内向的な激しさを象徴するこのシーンは、役者アル・パチーノの面目躍如だ。
ひとつの達成と言ってもいい。

芸域が広いとは言い難いが、この人の演技には一切の妥協はない。
自分の個性を熟知して、芸を磨き続けている。
だからこそプロフェッショナルとして敬意を払われているのだと思う。

1990年に公開された『ゴッドファーザー PART III』(現在は『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』として改題)では、枯れた風合いと円熟味を増した、晩年のマイケルを充実した演技でこなしている。

ロバート・デ・ニーロ(若き日のドン・ヴィトー・コルレオーネ)

この人の卓絶した役者スピリットには目を見張るものがある。
撮影前に実際にシチリアの村で生活をして、シチリア人になりきって役作りに臨んだという。
イタリア語(シチリア語)も完璧に近くなるまで。

ロバート・デ・ニーロは、後年のヴィトー(マーロン・ブランド)とはまるで似ていない。
にもかかわらず、「若かりしヴィトーはきっとこうだったんだ」という疑う余地のない説得力がある。
若きデ・ニーロは、ありったけの創造性と想像力を使って、カリスマ性ならば不足のない溌剌としたヴィトーを造形したのだろう。「デ・ニーロ・アプローチ」の執念には感服するしかない。

アル・パチーノとは性質を異にするが、この人も演技にも妥協は排されている。
冷徹にもなれるし、冷酷にもなれる。
快活にもなれば、絶望もしてみせる。
高貴なる紳士にもなれるし、タガの外れた偏執狂にもなれる。
でもやっぱり、抑制された気高い狂気をもっていなければ、「デ・ニーロ・アプローチ」という狂気の役作りはできないと思う。

役者じゃなくてもデ・ニーロを「導きの星」として仰いでいる人は少なくないだろう。
この稀有な俳優を見ているだけで、自分の可能性を過小評価するのは当を失したふるまいであると、ごく自然に思えてくるからだ。

ロバート・デュバル(トム・ヘイゲン)

コルレオーネ一家専属の弁護士であり、マイケルの右腕。
迷いと苦悩の連続だが、品位を忘れない硬骨の士だ。
前作同様、理知的で静謐なたたずまいのなかに垣間見せる屈託につい目を奪われてしまう。

感傷につけ入る隙きを与えない怜悧さを発揮するが、ときおり見せるためらいに人間らしさを感じる。
マイケルほど冷酷にはなれないトム・ヘイゲンの嘆息が聞こえてきそうだ。

トム・ヘイゲンを演じるに際して、ロバート・デュバルは慎重にアクやにごりを取り除いているように思う。
観客に襟を正させるような抑制された芝居である。

ジョン・カザール(フレド・コルレオーネ)

マイケルの兄フレドの人間的弱さを、確かな演技力によって描出している。
フレドというキャラクターがぼやけていないのは、カザールもまた人物の雑味を注意深く取り除いているからだと思う。

カザールは賢しらな演技技術で、ツイストをきかすような愚を犯していない。そこに好感がもてる。
フレドという人物を並の俳優が演じれば、いかにも大味な「ダメ兄」に仕上げる弊を脱していなかっただろう。

でもジョン・カザールが演じるフレドは、キャラクターの彫琢を極めようとしているようだ。
無邪気で脆く、心優しいがプライドがあり、強くあろうとしてあやまちを犯してしまう、愛おしい人間として鮮烈な印象を与えている。

タリア・シャイア(コニー・コルレオーネ)

フランシス・フォード・コッポラの妹だからというわけではないけど、『ゴッドファーザー』の世界観を深く理解して、適正に自分を位置づけている。女優として骨太な実力がもっている人だ。
演技に余計は味付けを加えることもなく、粛々とヴィトーの長女をこなしている。

タリア・シャイアといえば、コニー・コルレオーネと、『ロッキー』のヒロイン、エイドリアンだ。
ふたりとも映画史に確かな爪痕を残した脇役だが、キャラクターが粒立っているからだろう、コニーとエイドリアンは混じり合わない。

ダイアン・キートン(ケイ・アダムス・コルレオーネ)

前作に比べるとシリアスな場面が多いが、『PARTⅡ』のほうがのびのびとしているような印象。
夫マイケルとの埋めがたい溝の深さを衒いのない演技で表現してみせた。

でもダイアン・キートンの底力は、ケイ役では十全に発揮されていない。
3年後に公開される『アニー・ホール』で、女優としての芸域の広さを世界中に見せつけることになる。

リー・ストラスバーグ(ハイマン・ロス)

マーロン・ブランドやジャック・ニコルソン、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロなどを輩出したアクターズ・スタジオの芸術監督である。過去数十年、指導一筋だったご本人は、役者として舞台に立つことはなかった。
それが71歳で映画デビューするとは、ストラスバーグ自身もゆめゆめ考えもしなかっただろう。

『PARTⅡ』を初めて見たとき、この役者が誰なのかわからなかったが、それでも端倪すべからざる「圧」のようなものが感じられた。演技に気負いや力みなんてない。飄々としたなかにも凄みがある。

それまでのマフィア映画にこういうタイプの悪役は登場しなかったと思う。
『PARTⅡ』公開当時、相当なインパクトがあったのではなかろうか。
間違いなく今作のアクセントになっている。

マイケル・V・ガッツォ(フランク・ペンタンジェリ)

ヴィトーの盟友であるクレメンザ亡き後、ニューヨークの拠点を牛耳る幹部を妙演。
なかなか味のある俳優だ。酸味と塩味を絶妙な塩梅でバランスさせて、ほどよいキレをもたせた演技である。

ものごとの核心にまっすぐ迫っていくような潔さが感じられる立ち居振る舞いには、そこはかとない滑稽味があり、見る者に忘れがたい余韻を残す。

マイケル・V・ガッツォは舞台で腕に叩き込んだ技術を、今作で存分に披露しているようだ。
古き良き時代のフィルム・ノワールの雰囲気を漂わせている。

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