『ウエスト・サイド物語』(1961年)
主演:ナタリー・ウッド/リチャード・ベイマー/ジョージ・チャキリス/リタ・モレノ
第34回(1962年)アカデミー作品賞など10部門を受賞。ブロードウェイの大ヒットミュージカルを映画化。ニューヨークのウエスト・サイドを舞台に繰り広げられる現代版「ロミオとジュリエット」。ダイナミックなダンス。美しい音楽。そしてロマンス。60年経っても陳腐化しない娯楽大作の魅力を紹介。
- 見ごたえたっぷりなミュージカルを堪能したい方
- 圧巻のダンスパフォーマンスを楽しみたい方
- 踊りだけではなく歌や楽曲にもこだわる方
- 王道のロマンスがお好みの方
- 現在、仕事で自分の望むポジションに就いていない方
- 仕事のモチベーションが下がりがちな方
『ウエスト・サイド物語』感想
けっして古びることのないダイナミックで華麗なミュージカル
初めてレンタルビデオで『ウエスト・サイド物語』を見たのは30年以上前でした。
見終わった後、しばらく間、意味もなく指をぱちんぱちんと鳴らしながら、歩き回ったものです。
『ウエスト・サイド物語』が下敷きにしているのは、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』。モンタギュー家の人々がイタリア系不良グループ「ジェット団」に、キャピュレット家の人々がプエルトリコ系不良グループ「シャーク団」に置き換えられています。
両グループの少年たちは、いかにも不良らしく、向こう見ずで浅薄で功名心が強く概して落ち着きがありません。ところが、ダンスをさせたら、俄然、彼らの存在は精彩を放つのです。若い生命が放つカラフルな躍動感にただただ圧倒されてしまう。
当時としては斬新なカメラワークが生み出す映像美には目を瞠るものがあります。あえてカメラを動かさないことで、バイタリティあふれた群舞のみずみずしい身体表現を映像におさめることに成功しました。このダイナミックな画面設計は、ジャンルを越えて後進の映画作品に影響を与えているほどです。
楽曲が素敵すぎて……
音楽を担当しているのは、レナード・バーンスタイン。
撮影当時、ニューヨーク・フィルを指揮していたバーンスタインは現役だったんですね。「マリア」「アメリカ」そして「トゥナイト」という名曲の数々を生み出しました。
わけても「トゥナイト」は楽曲として一分の隙きもないくらいの完成度。ロマンティックな魅惑の香りがただよう、流麗なメロディは切なくなるほどの陶酔をもたらします。「トゥナイト」の甘美さは、ナタリー・ウッドとリチャード・ベイマーのビジュアルに見事にマッチしていて、デリケートで傷つきやすいけれど一歩も引かないふたりの情熱を怠りなく伝えてきます。
綺羅星の如き楽曲を集めた『ウエスト・サイド物語』のサントラ盤は、全世界800万枚以上売れたそうです。さもありなんといったところ。
時代や文化を超えて、人間が感動するツボをおさえた普遍的な「話型」
先に述べたとおり、『ウエスト・サイド物語』は、現代のニューヨークに舞台を移しかえた「ロミオとジュリエット」です。実は「ロミオとジュリエット」もシェイクスピアのオリジナル作品ではないことをご存知でしょうか。天才的な劇作家ですら、先行する物語や詩をベースにしたのです。
「ロミオとジュリエット」自体、何度も映画されていますし、『ウエスト・サイド物語』も、2021年に『ウエスト・サイド・ストーリー』(スティーヴン・スピルバーグ監督)として見事にリメイクされました。
思うに「ロミオとジュリエット」におけるロマンスの話型は、時代や文化を超えて、人々が感動するツボをおさえた普遍的な力を持っているのでしょう。面白い・つまらないといった尺度を通り越して、物語が人の心に溶け込んでゆく。
『ウエスト・サイド物語』が優れている点は、そんな鉄板のロマンスに、美しい歌と華麗なダンスを加え、より娯楽作品としてのクオリティを高めたことです。70ミリの大画面にあざやかに描き出された登場人物たちの青春の息吹と躍動は、鮮烈な記憶として観客の脳裏に焼き付くでしょう。
2021年公開の『ウエスト・サイド・ストーリー』もきっと素晴らしいクオリティに仕上がっているはず。実はまだ見ていません。何事によらず楽しみはあとにとっておく主義。なにしろスピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』ですから勝手に期待値を上げています。1961年版と2021年版、両方愛するにやぶさかではありません。
『ウエスト・サイド物語』のキャストについて
マリア(ナタリー・ウッド)
この人の楚々とした ”かんばせ” は人の心を強く惹きつけて、無防備にしてしまうような魅力にあふれています。
ナタリー・ウッドの目から鼻に抜ける聡明さと、いささか気位が高そうな雰囲気はマリア役にぴったり。それというのも、『ウエスト・サイド物語』のヒロインには、たゆたうような華奢な個性はそぐわないからです。ことと次第によっては柳眉を逆立てて不良どもと刺し違えるくらいの度胸と、アグレッシブな淑やかさがマリア役の女優に求められるのではないでしょうか。
トニーとの出会いのあとの、ナタリー・ウッドの有頂天ぶりがなんともチャーミングで何度見ても見飽きることがありません。
マリアといえば、素晴らしくギャラントな歌声を披露していますが、実はマーニ・ニクソンという別の歌手が吹き替えています。*1吹き替えとわかっていても、マリアの優美さはいささかも減じることはありません。
トニー(リチャード・ベイマー)
ベルナルドに比べると、いささか個性がこもりがちな印象が否めないトニー。伊達男でもないし、ベルナルドのようなゴージャスなダンスを見せてくれるわけでもありません。元「ジェット団」のリーダーとは思えないくらい、ぽんわりと間延びした、癒やしの雰囲気を醸し出している。それがトニーに求められる役割なのです。
トニーの個性が強すぎると、マリアの存在が際立たないし、マッチョさを出すと、今度はベルナルドとのコントラストが引き立ちません。ことほど左様に、トニーの役割はそれほど単純ではないのです。
でも、リチャード・ベイマーは過不足なくトニーを演じきっています。ときにタイトになりすぎる物語の緊張を解きほぐし、心地よい風を通す爽やかな存在です。
ひとりで画面に登場するといささかアクセントが弱いリチャード・ベイマー。ところがナタリー・ウッドと並ぶとあら不思議。ハッとするような「絵」が立ち上がるのです。ふたり揃うとビジュアルとしての調和が生まれます。呼吸もぴったりあっている。
終始トニーの物腰は優しく穏やかだけれど、思い詰めたら猪突猛進。カッとなったらつい我を忘れて暴走してしまう……そういう軽率さがなんとなく僕に似ていて親近感を禁じえません。ちょっぴりトホホな親近感ですが。
ベルナルド(ジョージ・チャキリス)
この人はすっかり『ウエスト・サイド物語』のイコンとして定着しています。僕も『ウエスト・サイド物語』と聞いてまず思い浮かぶのが、躍りながら右手と左足を思いきり振り上げて、「トの字」に体をしならせたジョージ・チャキリスの姿です。身体全体がもう嬉しくて嬉しくて仕方ないと言わんばかりの。
今見ても男っぷりのよいチャキリスですが、1961年当時は、アメリカだけでなく日本でも、うら若き女性たちのハートをつかんだことでしょう。終始ギラギラしているけれど酷薄な印象はそれほどありません。むしろ打ち消し難い善良さが全身からにじみ出ています。
ちなみに1967年公開の『ロシュフォールの恋人たち』では、舞台をフランスに移して、陽気で軽快なチャキリスを見ることができます。もちろんダンスのキレはそのままです。
アニタ(リタ・モレノ)
ジョージ・チャキリス同様、この人も『ウエスト・サイド物語』の ”顔” です。リタ・モレノの体当たりの演技は、どこまでも凛々しく奔放で、アクティブに自己表現する女性を力強く表現しました。公開当時、アニタに憧れた女性は多かったのではないでしょうか。
リタ・モレノと言えば、2021年の『ウエスト・サイド・ストーリー』にも出演しています。出演だけではなく製作総指揮担当というから驚いてしまう。この偉大なミュージカル の構造を熟知し、隅々にまで目が行き届く人なのでしょう。彼女にとって『ウエスト・サイド物語』は、人生そのものなのかもしれません。
『ウエスト・サイド物語』作品情報
監督 | ロバート・ワイズ/ジェローム・ロビンス |
脚本 | アーネスト・レーマン |
撮影 | ダニエル・L・ファップ |
音楽 | レナード・バーンスタイン |
出演 | ・マリア・・・ナタリー・ウッド ・トニー・・・リチャード・ベイマー ・ベルナルド・・・ジョージ・チャキリス ・アニタ・・・リタ・モレノ ・リフ・・・ラス・タンブリン |
上映時間 | 152分 |
ジャンル | ミュージカル/ロマンス |
あらすじ
舞台は現代のニューヨーク、マンハッタンのウエスト・サイド。
この街は、リフ(ラス・タンブリン)をリーダーとするイタリア系グループ「ジェット団」と、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)をリーダーとするプエルトリコ系グループ「シャーク団」が対立しているため、常に不穏な空気に包まれていた。
ある日の夜、リフの友人であり、かつて元ジェット団リーダーであるトニー(リチャード・ベイマー)はリフに乞われてダンスパーティーに参加する。そこでベルナルドの妹マリア(ナタリー・ウッド)と出会い、ふたりは運命的なものを感じる。
対立するグループに属する者同士とはいえ、マリアとの恋を成就しようとするトニー。障害がかえって若いふたりの思慕の念をかきたてるかのようだ。
トニーは「ジェット団」と「シャーク団」の果たし合いを阻止し、両者を和解させようと奔走するが、はからずも抗争に巻き込まれて罪を犯してしまう……
【コラム】「脇役」「端役」でも、「主役」以上の異彩を放てる
人間誰しも、好きな仕事、好きなポジションに就いて評価されるくらいの幸せは他にはないかもしれません。しかし実際はどうなんでしょう?
ほとんどの人は、生活していくために、意に染まない仕事に就いて、不本意なポジションに甘んじているのではないでしょうか。耐えがたいとまでは言えないにせよ、そこそこのところで妥協した仕事にささやかなやりがいを見出している━━ そんなところではないでしょうか。(違っていたらごめんなさい)。
気休めにしか聞こえないかもしれませんが、それはそれで幸せではないかと思うのです。少なくとも、自分の受け持ちの場所、自分が打ち込める場所があるのですから。たとえ自分が「脇役」「端役」でも、自分の持ち場で最善を尽くすことで道は開いていける。『ウエスト・サイド物語』を見ると、そのことをあらためて痛感します。
映画の主役は、「マリア」を演じるナタリー・ウッドと、「トニー」を演じるリチャード・ベイマーのふたりです。ところが脇役の「ベルナルド」を演じるジョージ・チャキリスと、「アニタ」を演じるリタ・モレノが、それぞれアカデミー助演男優賞、助演女優賞を受賞しました。たしかにチャキリス&モレノに比べると、主役のふたりはいささか綺麗すぎて、おとなしすぎる印象が拭いきれません。
では、ジョージ・チャキリスとリタ・モレノは、主役を食ってやるくらいの強い野心を持っていたのでしょうか。まあ役者になるくらいの人たちですから、あるいは、いくばくかの野心は抱いていたのかもしれません。
でもそれ以上に、チャキリスとモレノは、ロマンスを演じる主役のふたりを引き立てながらも、脇役として歌とダンスで物語を盛りあげることにやぶさかでありませんでした。彼らは、徹して脇役を楽しみきったことで、異彩を放ち、『ウエスト・サイド物語』の懐の深い魅力の醸成に貢献したのではあるまいか。少なくとも僕はそう考えます。
話を元に戻しましょう。
たとえ自分の仕事において、「脇役」や「端役」のポジションでも、与えられた場所で自分の個性を発揮して、ひとかどの仕事をまっとうしてゆく。それが自分が本当にやりたい仕事への道筋をつける要諦と言えるのではないでしょうか。
ものすごく月並みなことを書きましたが、言葉にすると月並みになりがちなものごとの裏側に潜む、大切な常識を思い出させてくれるのが、『ウエスト・サイド物語』です。
もしお仕事へのモチベーションが下がるようなら、ぜひこの映画をご覧ください。ジョージ・チャキリスとリタ・モレノの歌と踊りを見ると、身体の内側で何かが「点火」し、「自分の持ち場で最高のパフォーマンスをしよう」と奮起すること請け合いです。
*1:マーニ・ニクソンは、『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘップバーンや、『王様と私』のデボラ・カーも吹き替えていることから、吹き替えの女王とも呼ばれています。
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