『第三の男』感想と考察※光と影が織りなす「香り高き芸術」

『第三の男』(1949年)

主演:オーソン・ウェルズ/ジョゼフ・コットン/アリダ・ヴァリ

(原題: “The Third Man”)サスペンス映画の古典的名作のひとつ。第2次世界大戦直後、緊迫感をはらんだウィーンを舞台に、米国人作家が親友の死の謎を探っていくストーリー。忘れがたい名場面、鼓膜に残るツィター演奏によるテーマ音楽。陰影豊かな白黒の魔術を堪能できる『第三の男』の感想と考察を綴ります。

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目次

『第三の男』作品情報

監督キャロル・リード
脚本・原作グレアム・グリーン
制作キャロル・リード/デヴィッド・O・セルズニック/アレクサンダー・コルダ
撮影ロバート・クラスカー
音楽アントン・カラス
編集オズワルド・ハーフェンリクター
出演ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)
ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)
アンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)
キャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)
カール(パウル・ヘルビガー)
クルツ男爵(エルンスト・ドイッチュ)
ヴィンクル医師(エリッヒ・ポント)
ポペスコ(ジークフリート・ブロイアー)
アンナの家の女将(ヘドウィグ・ブライブトロイ)
ペイン軍曹(バーナード・リー)
クラビン(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)
上映時間105分
ジャンルサスペンス・スリラー

『第三の男』のあらすじ

『第三の男』のあらすじ

舞台は、第2次世界大戦後のオーストリア首都ウィーン。
当時、音楽と芸術の都は、アメリカ、フランス、イギリス、ソ連の4カ国に分割占領されていた。

アメリカ人作家ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)は、旧友ハリー・ライムの招きでこの街にやってきたが、到着早々、驚くべき報せを受けて茫然自失となる。

なんと、ハリーが事故で急逝したのだ。

だが、親友のあまりにも突然すぎる死に不可解な点があるため、ハリーの恋人アンナ(アリダ・ヴァリ)やハリーの知り合い、関係者に事情を聞き回る。

キャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)から、生前ハリーが粗悪なペニシリンを横流しする闇市場の密売人であることを知らされたマーチンスは、ウィーンにとどまり、単身ハリーの死をめぐる謎を解明するため奔走。

やがて、ハリーの死の瞬間に立ち会った人物が3人いることをつかむが、第三の男だけの正体だけがわからず捜査は難航する。

そんな折り、夜の街の暗がりでマーチンスは第三の男らしき人物を発見。
アパートの窓の光に照射されたその人物は、死んだはずのハリー・ライムその人だった。
彼はキャロウェイらの追跡をかわすために、死をよそおって地下に潜っていたのだ。

後日、ハリーから「仲間に加わらないか」と持ちかけられるマーチンス。
犯罪に手を染めた親友をかばうか ━━
親友の逮捕に協力するか ━━
激しく葛藤するが、正義と良心に従ってキャロウェイ少佐に手を貸すことを決意する……

『第三の男』の感想と見どころ

『第三の男』ラストシーン並木道のイメージ

光と影が織りなす、美しくも妖しい映像芸術

敗戦直後、米英仏ソに分割占領され荒廃したウィーンの街は、光と影で構成されたモノクロ映像につきづきしい。
この映画もまた、『ローマの休日』同様、AI技術でカラー化修復しても、ほとんど意味をなしません。
かえって『第三の男』の芸術性を傷つけてしまうでしょう。

サスペンススリラーとしても、香り高き極上の逸品。
作家グレアム・グリーン原作によるノワール調のストーリーも出色の出来映えです。
光と影の凄味と、細緻な演出による注意深いサスペンスのかけ方は、見事な効果をあげています。

100分間の美しくも妖しい光と影の映像芸術には、いささかも退屈をおぼえません。
斜め構図の撮影が実にミステリアスな不安の効果を引き出していて、幻想的な世界に誘い込まれてしまう。
監督キャロル・リードの真面目(しんめんもく)が十二分に発揮されています。

それにしても登場人物たちは、どいつもこいつも妖しいオーラをまとっていて、つい微苦笑してしまう。
光と影の世界にうごめく姿が生々しくて強い印象を残します。

たとえば門番の子供。
マーチンスを「人殺し!人殺し!」と叫びながら、追いかけてくるシーンは、なんとなくカフカの世界を彷彿とさせます。あんなに可愛くない子供を見たのは久しぶりでした。
もちろん実際の子役は可愛らしかったでしょうが ……。

陰影を際立たせる音楽

『第三の男』の陰影豊かな作品世界を際立たせているのは、「テーマ音楽」です。
ヨーロッパアルプスの伝統的な民族楽器ツィター(ギターに似た弦楽器)を奏でるのは、アントン・カラス。

サスペンス・スリラーに合わせて暗くて荘重な音楽と思いきや、意外なほど軽快なメロディに驚いてしまう。
しかしこれが、光と影、明と暗、白と黒が織りなす映像世界を香り高き芸術に昇華せしめているのです。

この雰囲気たっぷりな『ハリー・ライムのテーマ』は、日本では「YEBISU」ビールのCMに起用されたり、JR恵比寿駅の発車メロディとして使われたりして、すっかりリラックスミュージックとして耳馴染みがあります。

ところが『第三の男』で流れると、ストーリーの起伏や、登場人物たちの叙情を緩急自在に表現する音楽として絶妙な効果を上げるのです。なんとも心憎いほどに。

アントン・カラスによるツィターの妙技を楽しむだけでも、『第三の男』は一見一聴の価値があります。
ストレートな球筋と安心していたら、とんでもない変化幅を見せる魔球のごとき律動に一驚されるでしょう。

『第三の男』3つの見どころシーン

この映画は何度も視聴していますが、見返すのは3つのシーンだけです。
何度見ても飽きないし、何度味わっても香り高い。
見るたびに美的感興を呼び起こされるのは、まぎれもない芸術作品だからでしょう。

闇の中で浮かび上がる、ハリー・ライムの登場シーン

第三の男を探し続けるマーチンスのあとを付け狙う何者かが、暗がりに潜めている。
誰何するが、相手は応じない。
アパートの住民がつけた明かりによって、闇の中に浮かび上がるハリー・ライムの顔。
あのシーンがひときわ印象深く、『第三の男』のアイコンにもなっています。
ハリーは悪びれることなく、不敵な笑みさえ浮かべている ━━ 見ようによっては はにかんでいる ━━ のがまたなんともいえない興趣を感じさせるのです。

悪と虚無に身を明け渡した男の表情には、人を強く惹きつける蠱惑(こわく)があります。
そこに絶妙なタイミングでツィター演奏が入ってくるのだから、もう唸るしかありません。

僕は昔、このシーンを擦り切れるまでリピート視聴して、オーソン・ウェルズの顔真似をしたものです。
今も困ったことが起こって有効な善後策を思いつかない場合は、とりあえず不敵な笑みを浮かべてやりすごすようにしています。

大観覧車のシーン

大観覧車の中で、マーチンスは再会したハリーから仲間に入るように説得されます。
「決心したら連絡をくれ」と伝えたあとの、ハリーの別れ際のセリフが忘れられません。

こんな話がある

ボルジア家の30年
争い続きのイタリアではルネサンスが開花した

兄弟愛のスイスでは
500年の民主主義と平和で鳩時計どまりさ

『第三の男』より

これはグレアム・グリーンの原作にも脚本にもない、オーソン・ウェルズ考案のセリフです。

このセリフにすっかり酩酊した僕は、しばらくのあいだ頭がしびれてぼんやりしていました。
そこには善悪を超えた、厳粛な人間存在の現実がうまく言い表されているような気がしたからです。

並木道のラストシーン

墓地の中を、まっすぐに伸びる並木道には枯れ葉が舞い散っている。
こちらに向かって歩いてくるアンナを未練がましく待ち受けるマーチンス。
だがアンナは彼の存在など一顧だにせず、並木道をスマートかつクールに歩み去っていく。

犯罪に手を染めた親友を売った、善良なマーチンスが哀れにさえ見えるこのラスト。
人の世のアイロニーがもたらす余韻は格別です。
女性の本質が見事に表現されたシーンとして一幅の絵画のように不朽の輝きを放っています。

『第三の男』の出演者についての考察

『第三の男』キャストについて

オーソン・ウェルズ(ハリー・ライム役)

とっちゃん坊やの風情、よく通る深いバリトン、並大抵ではない胆力を感じさせるふてぶてしさ、コートのすそを翻しながら地下水道を逃げる姿 ━━
どれをとっても見る者の印象に強く残り、心にしっかり食い込んでくる圧倒的な存在感です。

闇の中で、ぱっと浮かび上がるハリーの表情には、しっぽの先まで悪と虚無に染め上げられた稚気をたたえています。
これがただの強面の悪人なら、『第三の男』は映画史に残る名作にはなり得なかったでしょう。

オーソン・ウェルズが『市民ケーン』を世に送り出したのが25歳のとき。
まごうかたなき天才肌の映画人です。
知性、野心、教養、権謀術数にも不足はありません。
「スイスでは500年の民主主義と平和で鳩時計どまりさ」のセリフから、類まれなセンスの高さもうかがえる。

オーソン・ウェルズという人は、じつに抗し難い人間的魅力にあふれています。
まさに「魔術」と言っても過言ではありません。
この人が抱える宿命的な瑕疵や欠落、胡散臭さ、屈託、屈折が生み出す「魔術」に、我々の心をすっかり無防備にされてしまう。そんなこの人の魔術的才覚は、映像的愉悦を最大化するために遺漏なく捧げられているようです。

オーソン・ウェルズは精力的に作品に出演するものの、おしむらくは監督としてその抜きん出た才覚を活かす機会には恵まれませんでした。あるいはデビュー作『市民ケーン』が鮮烈にすぎたのかもしれません。
この不世出の映画人にとって、後年の映画界は「鳩時計どまり」だったのでしょう。

アリダ・ヴァリ(アンナ・シュミット役)

イタリアを代表する絶世の美人ですが、あたたかい太陽の陽気はほとんど感じさせません。
この人がかもしだす上質な憂愁には、どこか人を拒絶する冷たさがあります。
それでいて、秘めたる情熱の持ち主であることは誰にとっても明らかです。

この人には女性特有の柔和さや親しみやすさはそぐわないように思います。
怜悧なエレガンスがふさわしい。
冷ややかで、ちょっとキツめ魅力が、アリダ・ヴァリに比類のない美の光彩を与えているように思うから。

善良なる凡庸・マーチンスの存在を無視して、ひとり並木道を歩いてゆくラストシーンのきらめきは、いつまでも損なわれることはないでしょう。

ジョゼフ・コットン(ホリー・マーチンス役)

オーソン・ウェルズの映画では、レギュラー俳優という感のあるジョゼフ・コットン。
善良なる凡庸を一分の隙もなく演じきった実力は高く評価されてもいいと思います。

ホリー・マーチンスの抑制をきかせた演技には、掬すべき「華」がある。
役者としての「華」は、必ずしもわかりやすいかたちで提示されるものではありません。
ジョゼフ・コットンのいぶし銀ともいえる役者としての「華」を、オーソン・ウェルズは珍重し、深く慈しんだのではないでしょうか。

ときに「理」よりも「情」が勝ってしまうのが人間性の現実 ━━ 『第三の男』が教えてくれたこと

『第三の男』を思い起こすたび、映像のもつインパクトに慄然としないわけにはいきません。
子供の頃にこの映画を見て、筋はよくわからなかったけれど、ハリーの不敵な微笑や、アンナが並木道を歩くシーンは記憶に強烈に刻みつけられています。

そしてそれらのシーンを思い出すたびに、同時に人間の機微やその複雑さに思いを馳せるのです。

オーソン・ウェルズ扮演のハリー・ライムは明らかに「悪」です。
キャロウェイ少佐に協力し、「おとり」になったマーチンスは社会一般の常識に適った、至極まっとうな行動をとっている。しかるに我々はマーチンスに拍手喝采できません。
どう考えても不合理ですが、そうなんだから仕方がない。

恋人ハリーへの想いを断ち切れないアンナにも我々は同情してしまいます。
ハリーが粗悪なペニシリンを横流しする犯罪者とわかっても、アンナには最愛の人なのです。
そこには、社会常識や正論が入り込む余地はありません。

ときに「理」よりも「情」が勝ってしまうのが人間性の現実である ━━ 『第三の男』が教えてくれたことです。

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