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『恋人たちの予感』感想※「男女の友情は成立するか?」に答えを求めるあなたへ

恋人たちの予感(1989年)

主演:メグ・ライアン/ビリー・クリスタル

ラブコメの女王、メグ・ライアンを生んだ80年代後半を代表する恋愛映画。メグ・ライアンがレストランの中で ” ベッドタイムの声 ” を忠実かつリアルに再現してみせるシーンは、一見の価値あり。男と女の友情は成立するのか?という正解のない問いに対する、ひとつの心憎い回答を提示した物語。

恋人たちの予感
出典:Amazon.com

この映画、こんなあなたにおすすめです!

  • 「男女の友情は成立するか?」に、ひとつの答えを求める人
  • 恋愛・結婚生活において自分のこだわりやクセを大切にしたい人
  • ウィットに富んだ恋愛ドラマが好きな人
  • マンハッタンの四季の移ろいを楽しみたい人
  • 90年代「ラブコメ女王」の原点にして頂点となる作品を興味のある人

『恋人たちの予感』作品情報

監督 ロブ・ライナー
脚本 ノーラ・エフロン
撮影 ロブ・ライナー/ アンドリュー・シェインマン
音楽 ハリー・コニック・ジュニア
出演 ・ハリー・・・ビリー・クリスタル
・サリー・・・メグ・ライアン
・マリー・・・キャリー・フィッシャー
・ジェス・・・ブルーノ・カービー
ジャンル 恋愛

ストーリー

大学を卒業したサリー(メグ・ライアン)は、友人の彼氏であるハリー(ビリー・クリスタル)と一緒に車でニューヨークへ行くことに。価値観や恋愛観の違うふたりは反発しあい、そのまま別れることになる。5年後、ふたりは再会するも、またも衝突して物別れに。さらに5年後、サリーとハリーはふたたび出会い、それぞれ破局を経験した者同士、気心の知れた友人になっていく。ある日、元恋人の結婚の知らせを受けて取り乱したサリーのもとに、ハリーが駆けつけると……

『恋人たちの予感』感想

まめやか流筆のすさび

男女の友情、ありやなしや 困惑、迷走、葛藤を一直線に突き進むなかで答えは見える

『恋人たちの予感』を見て感じた印象を筆のすさびで表現

男女の友情は成立するのか?」にお手軽な正解なし!

何度見ても深く感じ入ってしまう恋愛映画です。
展開がわかっていたって、結末がわかっていたって、繰り返し見たくなる映画を「名作」と呼びます。見るたびに笑って、最後は幸せな気分に浸れるということは、それだけ普遍的な男女の機微をとらえているからでしょう。

マンハッタンの移ろいゆく四季の表情をとらえた映像、軽妙洒脱で味わい深いノーラ・エフロンによる脚本、心地よく聴かせるハリー・コニック・ジュニアの音楽が、サリーとハリーの物語を小粋に彩っています。

『恋人たちの予感』は、”男女の友情は成立するのか?”というおなじみの命題を取り扱っていますが映画を見たところで明快な正解が与えられるわけではありません。

友情から発展してめでたく結ばれるカップルもいれば、お互い別々の伴侶を持つことで、末永く友人関係を維持する男女もいる。もろもろの事情があって、ほとんどロマンスらしきものすら芽生えることなく気心の知れた友人関係もあれば、ちょっとした ” 火遊び ” から深刻な人的トラブルに発展し、数多の修羅場を潜り抜けてほどよく熟成する友人関係もある。

・・・つまり、男女の組み合わせの数だけ個別具体的でユニークな物語がある━━ 『恋人たちの予感』が示しているのはこの事実です。

小粋で洒脱なドラマを通して、男女の成熟のありかたを示している

男女の関係はきれいごとだけではすまないところがあります。
甘ったるいロマンスを描くだけでは、『恋人たちの予感』は凡百の恋愛映画と一線を画することができなかったでしょう。

この映画は、等身大の男女の違いを浮き彫りにして、リアリティと洒脱さの切ない拮抗を活写しながら男女の成熟のありかたを示している━━ と僕は考えています。

男女が、「性」という問題にぶつかって、傷ついては慰められて、傷つけては慰めてを繰り返し、本音を吐露しあうその先に、見えてくる景色があり、お互いを高めあう次のステージがある。いかにもクサくなりかねない主題を豊かなエスプリを効かせて、すっきり腹持ちのよい佳品に仕上げているところに監督ロブ・ライナーの芸達者ぶりがうかがえます。

男と女の情愛の世界に、誰にでも当てはまる成功法則なんてありません。性別も違う、価値観も違う、育ちも違う、こだわりも違う、だけどゆえなく惹かれ合う。そこには論理や理屈なんて入り込む余地はない。だからこそ好きになったら、自分の気持ちに素直になって、一直線に相手に飛び込んでいくしかない。それが大人の恋愛の骨法ではないでしょうか。

繰り返しますが、『恋人たちの予感』を丁寧に見ても、「男女の友情は成立するか?」という命題にお手軽な答えが手に入るわけではありません。でも、心地よく腑に落ちるところはあります。「恋をして困惑、迷走、葛藤を、一直線に突き進むなかで、大人の答えが見えてくる。そんな答え探しをする程度の大人げなさは許される」と。

『恋人たちの予感』のキャストについて

サリー・・・メグ・ライアン

メグ・ライアンが演じたヒロイン・サリーは、十分個性的魅力に満ちたまさに「当たり役」でした。いきいきとカラフルな感情表現は度を過ぎることはなく、愛くるしさが際立っています。サリーの強いこだわりやクセですら、チャーミングです。

この人の深みは、コメディエンヌとしての可愛さを優位に立たせながらも、その後ろで端正ななまめかしさをたゆまずに維持しているところにあります。それゆえにときおり垣間見せる艶のある物腰に思わずはっとさせられるのです。そして気づいたら、骨の髄まで魅了されて、ファンの一人になっているという。

『恋人たちの予感』で一気にスターダムへと駆け上がり、押しも押されもせぬ「ラブコメの女王」と目されてきたメグ・ライアン。本作でコメディエンヌというイメージが定着してしまったせいでしょうか、他の作品でシリアスな役柄を演じると「やや精彩に欠ける」という評価が多いようですね。

それでも、ときにやさしくまろやかで、なんとも言えない表情をする彼女を見るたびに癒やされてしまう。

ハリー・・・ビリー・クリスタル

ハリーを演じたビリー・クリスタルも個性では負けていません。
とぼけた味わいをインテリジェンスの糖衣で包んだようなキャラクターはつい微苦笑を誘われてしまう。

ハリーの持つこだわりやクセの方が奥まったところにあるぶん、より強い ”えぐみ” が出ているのかもしれない。なんともいわく言い難い ” ややこしさ ” と ” 豊かさ ” をはらんだ個性を持つハリーを自然体で演じているところに、この役者さんの卓越さがあるように感じました。

ただこのハリーという男性、女性に「この人と添い遂げる」と決心させる「何か」が不足しているようです。女性に対する ” 迫真性 ” というものが足りない。男性目線で見ると、「ハリーっておもろいヤツやなー」と思うんですが、女性から見るとさして「いい男」ではないかもしれない。

けれども映画のクライマックスで、ハリーは「男」になります。
ハリーの煮えきらない感じにイラついていた女性も、きっと胸に迫ること請け合いです。

ハリーがサリーについて思いのたけを伝えるシーン、これは何度見ても素敵ですよ。上質なウィットやユーモアを殺さずに、愛する女性に言うべきことをきちんと伝えるところはカッコいい。あんな告白をされたら、サリーじゃなくても、女性は心を動かさないわけにはいきません。「男女の友情は成立するのか?」みたいな問いは、たちまち雲散霧消しているはず。

まめやかコラム

他人が眉をひそめるようなこだわりやクセでさえ、余人には替えがたい魅力の源泉になる

あなたには、治したいこだわりやクセを持っていますか?
とくに誰かを危害を加えるようなものではないにせよ、周囲から注意をされているクセやこだわり。それは本当に直すべきなんでしょうか? 矯正すべきものなんでしょうか?

クセやこだわりというのは、もしかしたら、あなたをあなたたらしめる、唯一無二の華として愛でるべきものかもしれません。『恋人たちの予感』のサリーがめっぽうチャーミングなのは、いささか強いこだわりやクセによるところが大きいと思うのです。

レストランでは細かい注文をつけるところに、サリーの一徹なこだわりがうかがえます。

「ホイップクリームはパイの上にかけるのじゃなくて、横に添えて」
「ビネガーはサラダの横に添えて」

やたらと横に添えたがるサリーを見て、ハリーは自分の恋人の友人であるにもかかわらず好感を持ちます。これを見て僕はいたく共感しました。「たしかにそうだよな」と。

というのも、なにげないこだわりやクセほど、その人の個性美を如実に示しているからです。あらゆる道理を超えた性質のものだから、ある種の求心力を発揮するのかもしれませんね。

むろん人に危害を及ぼしたり、公序良俗に反するこだわりやクセは矯正するべきでしょう。とはいえ、さして人に迷惑を及ぼさない性質なら、その人間のネイチャー(自然)の所産ですから、堂々と自分の個性として認めてあげるべきではないでしょうか。

大切なのは、それ以外の自分の美点でフォローすることだと思うのです。
食べ物の好き嫌いが多くても、気立てが良くてやさしい心根の持ち主であるとか。つい皮肉を言ってしまいがちだけど、ウィットに富んだ冗談で周囲を和ませたりとか。食べ物の好き嫌いが多い皮肉屋だけど、褒めるときはしっかり褒める嘘のない性格の持ち主とか。

ことほど左様に、自分の美点で怠りなくフォローをしていけば、他人が眉をひそめるようなこだわりやクセが、いつしか「独特の雰囲気」「ナチュラルな魅力」として讃えられるのではないでしょうか。

人間、こだわりやクセを削って屈曲や凹凸をなくしていくと、誰にも嫌われないかわりに存在感が薄まっていくように思うんです。

どうでもいい余談

ちなみに僕のこだわりの対象のひとつが、「外国映画の『邦題』の付け方」です。
ちょっとイマイチな意訳の邦題をみつけると、どこか釈然としない思いが残って異論を唱えたがるタイプなんですね。中には直訳も意訳もせずに原題そのままで日本上映してもいいのに……と思える映画作品もあります。

ところで『恋人たちの予感』はどうだろう?
うーん、ちょっと何か足りないような感じがします。画竜点睛を欠いている。

この映画の原題は『When Harry Met Sally...』。これはこれで悪くないと思うんです。最後の「...」に何とも言えない余韻がある。

それなら、『When Harry Met Sally... ━━ 恋人たちの予感 ━━ 』みたいなタイトルでもよいのかなと。原題の横に意訳した邦題を添えるわけですね。
そう、ちょうどサリーが、パイの横にホイップクリームを添えるように。

ちゃお!!

それではまた