『めぐり逢い』(1957年)感想※心奪われる、しっかり臭めなメロドラマ

『めぐり逢い』

『めぐり逢い』(1957年)

主演:ケーリー・グラント/デボラ・カー

1939年公開『邂逅』をレオ・マッケリー監督自身がリメイク。運命的な出会い。しかしお互い婚約者のある身。どうしようもなく惹かれあうふたり。再会の約束。すれ違い。そして、再会……王道メロドラマだけど、観客を心をつかんで離さない。傑作ラブロマンス『めぐり逢い』の感想や動画配信情報をお届け。

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目次

『めぐり逢い』(1957年)作品情報

監督レオ・マッケリー
脚本レオ・マッケリー、デルマー・デイビス
制作ジェリー・ウォルド
撮影ミルトン・クラスナー
音楽ヒューゴー・フリードホーファー
出演ニッキー・フェランテ・・・ケーリー・グラント、テリー・マッケイ・・・デボラ・カー、ニッキーの祖母・・・キャスリーン・ネスビット
上映時間119分
ジャンル恋愛

あらすじ

画家ニッキー・フェランテ(ケーリー・グラント)は何かと世間を騒がせるプレイボーイ。
婚約者の待つニューヨークへの船旅を楽しんでいた。

ニッキーは歌手テリー・マッケイ(デボラ・カー)と知り合う。
彼女もまたニューヨークにいる婚約者に会うために客船に乗り込んでいた。
船内で何度か鉢合わせし、お互いの気心がわかるにつれて、ふたりは抗いがたく惹かれ合ってゆく。

ふたりは船旅の途中でニッキーの祖母(キャスリーン・ネスビット)の家に立ち寄る。
そこでテリーと祖母は深く心を通わせあう。
船に戻ったニッキーとテリーは、それぞれ約束した人がいるにもかかわらず、お互いの愛を確信していた。

いよいよ船はニューヨークに到着する。
6ヶ月後にエンパイアステートビルで再会を約束して別れるふたり。
しかし、テリーに過酷な運命が待っていた……

『めぐり逢い』のみどころ・感想・レビュー

『めぐり逢い』感想レビュー

メロドラマの古典、原点にして頂点

「古典というのは、それが出来上がったときから古典だった」立川談志の言葉だ。
落語だけでなく、芝居や映画、ドラマにも言えるだろう。

今回紹介する『めぐり逢い』はメロドラマの古典であり、原点にして頂点だと思う。

レオ・マッケリー監督は『邂逅』でも飽き足らぬものを感じたのだろう。
18年後にストーリーやシーンを踏襲して再映画化したわけだが、そこにはレオ・マッケリーの監督としての並々ならぬ矜持がうかがえる。

この古典的メロドラマをセルフリメイクすることで、レオ・マッケリーは、監督としての実力の向上や技術の冴えを確かめたのではないだろうか。そしておそらく監督は『めぐり逢い』の出来に、おおむね満足したのではないか。
エンディングの余韻に浸りながらそう感じた。

なにより18年前にすでに古典を作ったこと自体、驚嘆に値すると思うのだが。

この物語が古典である証拠に、93年、ノーラ・エフロン監督が『めぐり逢えたら』でサブプロットとして取り入れている。この作品はトム・ハンクス、メグ・ライアン主演で大ヒット。

さらに94年、ウォーレン・ベイティが自ら監督・主演で『めぐり逢い』としてリメイク。
テリー役には妻であるアネット・ベニングを起用した。

監督ならついメガホンをとりたくなってしまう魅力がこの物語には潤沢に含まれているのかもしれない。

確かな説得力のあるストーリー

恋に落ちた男女のめぐり逢いとすれ違いを小粋に描いた映画となると、気になるのはご都合主義なストーリーだろう。
予定調和の恋愛ものに鼻白む人は少なくない。

だが『めぐり逢い』は、ストーリーの展開に無理がなく、ほどよい起伏を経て、気持ちいいほど流麗に進んでゆく。
それでいて、主演のふたりの細やかな心の動きや心情の綾に欠けるというでもない。
確かな説得力のあるストーリーに舌を巻いてしまう。
「どうせ、そらぞらしい恋愛ものでしょ?」という冷笑を退けてしまうほど。

豪華客船で、お互いフィアンセがいる淑女と紳士が惹かれ合う。
よくあるシチュエーションだが、観客に納得させるのは、ことのほか難しいのではないかと思う。
それが『めぐり逢い』では、一組の男女の馴れ初めが、あまりにもナチュラルでなだらかに流れるので、理屈を超えて得心がいくのだ。

「ああ、ニッキーとテリーはなるべくしてそうなったんだ」と深く納得してしまう。

臭めなメロドラマにこそ、まことゆかしき華がある

最初に『めぐり逢い』を見たのは、25年以上前だ。
たしかNHKの「世界名画劇場」だったと記憶している。

とりわけ主題歌「An Affair to Remember」(過ぎし日の恋)の美しさが強く印象に残った。
この物語に抒情性と上質な艶めきを与えている。

もちろん、恋愛ものである以上、いささか臭めなセリフも用意されているが、心情の絡み合いがしっとり落ち着いていて、自然な好感を持てる。

ケーリー・グラントとデボラ・カー、ほぼふたりの芝居だけで時間のメロドラマの世界に引き込む。
観客はすっかり心を奪われてしまうのだ。

あらゆる恋愛物語が出尽くされた感のある現代では、『めぐり逢い』に新味はないかもしれない。
韓流ドラマと比べても刺激は少ないだろう。
だが、臭めなメロドラマだからこそ、心を捉えるのかもしれない。

しっかり臭めなメロドラマにこそ、ゆかしき華がある。甘美な余韻を残すのだ。
それを気づかせてくれた『めぐり逢い』にめぐり逢えてよかった。

『めぐり逢い』のキャストについての感想

『めぐり逢い』キャストについて

ケーリー・グラント(ニッキー・フェランテ)

二枚目、軽妙、優雅。
なるべくして役者になったという印象を与える人だ。
アルフレッド・ヒッチコックは、ケーリー・グラント評してこんな言葉を遺している。

「女性の寝室にズカズカ入り込んでも決して嫌みにならない。それがグラントだ」

なるほど、言い得て妙だ。

『めぐり逢い』に出演した当時のグラントは、役者としても脂ののりきった時期であり、目がくらむほどの渋さを放っている。呆れるくらいスマートで様子のよい紳士だ。
この人のゴージャスなたたずまいには、360°隙がない。

デボラ・カーとの相性もぴったりだ。
ニッキー・フェランテは、プレイボーイの画家であり、どこか飄逸な中にも熱い気持ちをたぎらせている。
ケーリー・グラントにふさわしい役柄である。
臭めなセリフさえすんなり心に入ってくる。臭めでなければ、きっともの足りなくなるだろう。
なにしろ女性の寝室に入り込んでも嫌みにならない男だから。

ケーリー・グラントのスマートな物腰は、御婦人のハートをとらえてはなさない。男性が見ても憎めない。
その異彩を放つ存在感は出演作品に華をそえる。
とってつけた感じでもなく、押し付けがましい感じでもなく、自然に華をそえるのだ。

演技力以前に、この人の成り立ちが銀幕スターなのかもしれない。

テリー・マッケイ(デボラ・カー)

チャーミングで気品のあるたたずまいに目を惹く。

この女優のたしかな演技力は、『地上より永遠に』(1953年)、『王様と私』(1956年)で証明済みだが、『めぐり逢い』のテリー役の妙演も目覚ましい。
すらりとしていて、表情が繊細だ。
芯の通った強さとしなやかな女性の心持ちを抑制のきいた演技で表現している。
感傷に流されるさまも麗しい。

デボラ・カーが放つ、きらめく光芒は何にたとえられるだろう。
「まぶしくて、ちょっぴり気怠くなるけれど、幸福な予感以外は何も感じられない朝の光」といったところだろうか。
すこし気だるくなる美しさ━━ これこそ、この女優の余人には代えがたい持ち味だと思う。

映画の後半、アクシデントのあとの、デボラ・カーもすばらしい。
譲るべきところは譲り、主張すべきところはしっかり自己主張する、洗練された大人の女性の風格と艶を体現している。

ときとして訪れる人生の悲哀でさえ、この人のエレガンスをいっそう際立たせているようだ。

さいごに

『めぐり逢い』(1957年)は以下にあてはまる方におすすめです。

  • 正統派メロドラマにどっぷり浸りたい方
  • 洗練された大人のラブストーリーを堪能したい方
  • 古き良き時代のゴージャスなアメリカ映画を楽しみたい方

ぜひこの機会に、『めぐり逢い』をご覧になってください。

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