『男と女』(1966年)感想考察※気だるいエレガンス/甘くしなやかな感傷

『男と女』(1966年)

主演:アヌーク・エーメ/ジャン=ルイ・トランティニャン

原題:Un homme et une femme

フランシス・レイのボサノヴァとともに、切ない大人の恋愛を洗練された映像美で描いた名作。目の前の愛情と追憶が交差しながら、ヒロインの物憂いエレガンス、甘くしなやかな感傷が横溢したメロドラマは時を経ても色褪せない。クロード・ルルーシュ監督の名を一躍世界に轟かせた『男と女』の感想と考察、解説を綴ります。

このページではこんな疑問を解決します!
  • 『男と女』の作品データ、あらすじは?
  • 作品の感想、考察は?
  • 監督クロード・ルルーシュはいかにして『男と女』の着想を得たのか?
  • 出演者の魅力は?
目次

『男と女』(1966年)作品情報

一筆感想

ダバダバダぁ…
『男と女』の感想を筆のすさびで表現

作品データ

第19回カンヌ国際映画祭パルム・ドール(グランプリ)
第39回 アカデミー賞(1967年)外国語映画賞・脚本賞
第24回 ゴールデングローブ賞(1967年)最優秀主演女優賞・アヌーク・エーメ

監督・制作・原作・撮影クロード・ルルーシュ
脚本ピエール・ユイッテルヘーベン/クロード・ルルーシュ
音楽フランシス・レイ
主題歌ピエール・バルー
編集ハル・C・カーン/ジェームズ・E・ニューカム(編集賞)
出演アンヌ・ゴーチェ-アヌーク・エーメ
ジャン=ルイ・デュロック-ジャン=ルイ・トランティニャン
ピエール – ピエール・バルー
ヴァレリー – ヴァレリー・ラグランジュ
アントワーヌ – アントワーヌ・シレ
フランソワーズ – スアド・アミドゥ
上映時間104分
ジャンルロマンス

『男と女』あらすじ

「男と女」あらすじ

物語の舞台はパリ。
男 ━━ ジャン=ルイは常に危険と隣合わせのレーサー。幼い息子アントワーヌがいる。
女 ━━ アンヌは映画制のスクリプター(撮影現場で記録を取る仕事)。幼い娘フランソワーズがいる。

ふたりは、ドーヴィルの寄宿学校に息子と娘を通わせていた。
ある日の寄宿学校の帰り、アンヌはパリ行きの電車を乗りそこねてしまう。
ちょうどそのとき、ジャン=ルイが居合わせ、アンヌをパリまで送ることに。

パリまでの道中、車内で身の上話を語り合うふたり。
アンヌの夫がスタントマンという特殊な職業であったこと、そして不慮の事故で他界した事実をジャン=ルイは知り、言葉をうしなう。いっぽうジャン=ルイの妻が、かつて彼がレースの事故で生死の境をさまよったとき、ショックで狂乱し自殺した事実をアンヌは知る。

ふたりは愛する伴侶をうしなうという喪失を潜り抜けた者同士。その悲嘆は余人には計り知れない。
心に傷を抱えた男と女として、お互いを意識しあう。

後日 ━━
過酷を極めるモンテカルロラリーに出場したジャン=ルイは、見事に優勝する。
彼の勝利を知ったアンヌはモンマルトルの自宅からモンテカルロに向けて電報を打つ。

「ブラボー 愛しています アンヌ」

電報を受け取ったジャン=ルイは、アンヌからの愛の告白に矢も盾もたまらず、祝賀会の会場を抜け出し車を飛ばしてパリに向かうのだった ━━

『男と女』の感想レビュー

「男と女」感想・考察

ダバダバダぁタイム~『男と女』の鑑賞に最適な曜日と時間

「ダバダバダぁタイム」 ━━ これは名作『男と女』の鑑賞に最適な曜日と時間のこと。

結論から申し上げると、日曜午後3時です。

予定のない日曜午後3時に『男と女』を観ると、より作品の美しさやせつなさや、淡いペーソスを深く感じ入ることになります。土曜の夜ではいけない。ウィークデーもいまいちだ。日曜午後3時でなければ、『男と女』は身に沁みません。

今回、再視聴したときも、日曜午後3時ぴったり。
15分前からテレビの前で準備して、気もそぞろになって、意味もなく立ったり座ったりしていたほどです。

午後3時。
エスプレッソを飲みながら『男と女』を視聴。

思った通り、甘美なやるせなさが押し寄せてきて、ずっとぽわーっとしていました。映画が終わったあとも、しばらくしっとりとした余韻に包まれて、何をする気も起きません。なにしろ夜の9時頃まで、意味もなく顔を紅潮させつつ恍惚感が浸っていたのだから、「ダバダバダぁタイム」の持続効果は長い。コスパが高い。

もしあなたが『男と女』をご覧になるなら、日曜午後3時を強くおすすめします。
きっと物語に心を奪われる、得難い時間になるでしょう。

映画と音楽の調和が生みだす、物憂いエレガンス

『男と女』はフランス映画の名作であることに間違いありませんが、どういうわけか、フランシス・レイ作曲のボサノヴァだけがひとり歩きしているきらいがあります。インパクトのある優れた芸術作品の “いいとこ取り” をして、自分たちのわかりやすいわかりかたで徹底的に味わい尽くすのが、良くも悪くも日本のお家芸。

「ダバダバダぁ」もそのように賞味されましたが、映像と切り離してしまうのは、ちともったいない気がします。

洗練された映像と一緒にボサノヴァを味わうと愉悦も格別。「ダバダバダぁ」のスキャットを聴くと、髪をかきあげるアヌーク・エーメのアンニュイで優美なかんばせがごく自然に思い起こされます。映像と音楽が一緒になって、上質で物憂いエレガンスが醸し出されるのです。

ところで、この映画には教訓めいたものはなにもありません。生きる勇気が湧いてくるか?前向きになれるか?と言われると、そういうポジティブな実益要素はちっともない。ちっともないところが素敵なのかもしれない。

現実には何の役に立たなくても、ただ気だるいエレガンスに打ちのめされて、はぁ…と甘くため息をつく。このひとときが贅沢なのです。物語・映像・音楽による総合芸術で映画ってそういうものではないでしょうか。

クロード・ルルーシュ~不器用さと未熟さから生まれるみずみずしい薄明の世界観

制作・監督・脚本の3役を務めたのは当時29歳のクロード・ルルーシュ。
23歳で映画デビューするも、泣かず飛ばずでした。落ち込んでいたルルーシュは、ドーヴィルの海岸をとぼとぼ歩いているときに、子どもと一緒に歩く女性を見つけて、その美しい光景から『男と女』のインスピレーションを得たという。

くわえてこの若手監督にとって幸運だったのは、ピエール・バルーとフランシス・レイという芸術家を知己にもったことです。ブラジルからアメリカに広まっていたボサノヴァという音楽を効果的に採り入れて、通俗に堕してしまうストーリーを気だるいエレガンスと甘くしなやかな感傷で満たされた大人の恋物語に仕立て上げました。この映画によって、アンニュイで洒脱なフレンチ・ボサが花開いたといっても過言ではないでしょう。

『男と女』は、ヌーベルヴァーグでいささか満腹気味のフランス人たちにほとんど熱狂をもって迎え入れられたようです。
第19回カンヌ国際映画祭でグランプリ受賞。世界が『男と女』に酔いしれ、「ダバダバダぁ…」にまったり。当世流に言えば、「チル」(chill)でしょうか。

こんなことを書くとルルーシュ監督に怒られるかもしれないけど、当時のルルーシュの作家としての不器用さと未熟さが、『男と女』に瀟洒な抒情性を与えているように感じました。老練な監督が技巧の冴えを発揮したところで、あのみずみずしい薄明の世界観は創り出せません。

揺蕩(たゆた)える幸せを満喫できる映画

典型的なメロドラマ。不徳義漢や破廉恥漢のたぐいは一切登場しません。誰でも安心して、心地よく “たゆたえる” 幸せを満喫できる作品です。

斜に構えた表現や、突拍子もない珍妙な世界を差し出して悦に入るような屈曲した芸術観はありません。搦め手から攻め込んで、びっくりさせるような野暮ったさもない。

むしろ作品としての個性を意識しすぎないことで、『男と女』のしっとりとした作品世界が屹立したのではないかと。
無理にドラマに厚味をもたせようとしない姿勢が『男と女』に巧まざる優美さをもたらしているのかもしれない。

全編にナイーブな詩情がやさしく流露していて、映像の洗練美にすっかり虜になってしまう。この映画の画質には適度にノイズがあったほうがいい。そのほうが『男と女』のもつニュアンスがクリアに届くような気がします。

心地よい夢のしたたりのような、ビロードのような艷ややかな肌触りのような、そんな心地よい余韻に浸ると、「もう頑張らなくてもいいや」と思えてくる。モノクロ、セピア、カラーと場面ごとに変化して、物語が緩慢に流れていく。気だるい幸福感に包まれて、ぽんわりリラックスできる。

人によっては、「ちょっと感傷的にすぎるんじゃないか」と首を横にふって、途中で離脱するかもしれません。でも、たまには辟易するくらい感傷にたゆたってもいいのではないでしょうか。

観客に何も残さないというエレガンス

『男と女』の公開当時、こんな批判があったそうです。

「ただ美しいだけで、見終わった後に何も残らない映画」

なるほど。こういう意見があっても不思議ではありません。
映像と音楽が美しすぎて、物語が追いついていないということかもしれない。

個人的には「何も残らなくても、ええやんか」と相手の肩をぽんぽんたたいて同情してあげるでしょう。

この映画は、何も残らない人にはほとんど何も残らないが、何かが残る人にはしっかりと残って、人生を変えてしまうほどの影響を与えます。アーティストとしてのその作風に強い影響を受けた音楽家の高橋幸宏氏のような方もいるし、「聖地巡礼」じゃないけれども、ドーヴィルの海岸にまで詣でた日本人も少なくない。ちなみに僕は物語のラストのパリ、サン・ラザール駅に行ってみたくなりました。あの駅の階段をジャン=ルイのように駆け上がってみたい。

一つ言えるのは、『男と女』は、頭で鑑賞するより、感性で酔う映画だということ。
ラブ・ストーリーとして感情移入するのはあきらめて、悲哀の裏にある甘美に疼き、アンニュイな優雅さに酩酊する。表層では何も残っていないようでいて、体験の感覚的な味わいは、言語化しにくいだけにずっと残り続けるのかもしれない。世の中にはそんな性質のエレガンスもあると思うんです。

『風と共に去りぬ』のキャストについての考察

「男と女」キャストについての考察

アヌーク・エーメ(アンヌ役)

アヌーク・エーメは大好きな俳優のひとりだ。
マチュアな魅力がたまらない。

すらりとした立ち居振る舞い、凄艶な明眸、気品の奥に潜ませた冷徹さ。
清新な森林の香りがスクリーンから漂ってきそうだ。

「ダバダバダァ」を聴くたびに、メランコリックで陰りがあるが、明晰な美しさをたたえたアンヌの面影がちらついてしまう。僕はこの人の挙措を見て、シック(Chic)とはこういうものだと、マチュア(mature)とはこういう人を言うのだと感心しました。

アヌーク・エーメのデビューは14歳。
アンリ・カレフ監督の目にとまり、『密会』(1947年)に出演。
少女の頃から、役者ひとすじ。日本で言えば浅丘ルリ子さんでしょうか。

フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』(1960年)では、デカダンな存在感が印象に残っていますが、『男と女』のアンヌの落ち着いた倦怠感のほうが、この人の個性にはつきづきしい。
アンヌという役柄をリラックスして楽しんでいるように見えます。
ルルーシュ監督は彼女の演技を通して緊張感を伝えてくるが、アヌーク・エーメは終始肩の力が抜けている。

彼女は役柄を十分につかんでいて、自分がどんな表情を見せ、どんな倦怠を表現すれば映像が効果的に引き立つのか、誰よりも自分が一番理解しているような演技をしています。

ジャン=ルイがアンヌに会うためにモンテカルロから夜通し車を走らせ、ドーヴィルの海岸に到着。
アンヌと子どもたちがジャン=ルイに向かって海岸を駈けていくシーンは、絵画のように美しい。
身も世もなく感傷におぼれてもいいじゃないかと思えるシーンです。

ジャン=ルイ・トランティニャン(ジャン=ルイ役)

ジャン=ルイ・トランティニャンも大好きな俳優のひとりです。
『暗殺の森』(1970年)や『フリック・ストーリー』(1975年)の演技も素晴らしいが、やはり『男と女』のこの人は水際立っている。

何が好きかといって、ジャン=ルイのさりげないしつっこさが好ましい。
単純にしつっこいだけなら、さしたる印象も残らないし、『男と女』自体も心に食い込んでこなかっただろう。
端正で穏健なしつっこさを男としての「鑑」にしたい。

それにつけても、「ブラボー 愛しています」というアンヌからの電報を受け取れば、男なら誰でも有頂天になるでしょう。アンヌの告白を受け取ったジャン=ルイのさりげない有頂天っぷりが素敵です。

アンヌへの高まる気持ちを抑えきれぬジャン=ルイの表情は変化に乏しいが、からだ全体は浮ついている。
有頂天のあとは、哀しい出来事が起こるのはままならぬ人間世界の理だが、御多分に洩れずジャン=ルイにもちょっとした事件が起こります。

ひたむきだった愛が、ひたむきな愛の成就を妨げる歯がゆさ ━━ これもまた大人の恋によくある光景といえましょう。
こういうとき、男の “女々しさ” がはしなくも露呈します。
憮然としたジャン=ルイの表情も心を打たれる。中年男の苦味(くみ)がもたらす芳醇は格別味わい深い。

『男と女』コラム~移動した距離が、言葉以上のしんじつな想いを雄弁に物語る

「男と女」コラム

モンテカルロでアンヌからの電報による愛の告白を受け取ったジャン=ルイは、車をかっ飛ばし、モンマルトルのアパルトマンに到着。

だがアンヌは不在だった。娘に会うためにドーヴィルに向かったという。
愛する女に会いたい一心の男に疲れなんぞ感じない。
夜を徹してドーヴィルへ向かうジャン=ルイ。その胸は高鳴るばかりだ。

寄宿学校近くの海岸で子どもと遊ぶアンヌをみつけたジャン=ルイは、彼女への高まる想いを抑えきれず駆け出す。
砂浜で抱擁するふたり。

女は男の首に手を回し、男は女を抱きかかえ自分を軸に女を廻転してみせて、全身で再会の喜びを表現する。
風になびくアンヌの髪を頬に感じ、ジャン=ルイの表情は幸福感ではちきれそうだ。
広大な空と海を前にして、彼らだけの時間が流れている。
ふたりの心の鼓動と、波のささやき、そして、抱き合うふたりをしっとりと祝福するように物憂げに流れるボサノヴァ。
ダバダバダぁ……。

お互いはお互いの気持ちをわかりあっている。
邪魔立てするものはなにもない。
ふたつの河がやがて海に自然と流れ込むように、男と女が結ばれるのは自然の摂理であるように見えた……それなのに……。
どこまでも通俗なメロドラマだが、なぜか『男と女』は心の襞にやさしく触れてくる。

それにしてもジャン=ルイの移動距離には目を見張らされる。
過酷なラリーを終えて疲れ切ったからだで、モンテカルロから、アンヌの住むモンマルトルまでは約950キロ。
さらにドーヴィルまで約200キロ。

愛する女に会いたい男の性急さを誰が笑えるだろう。
きょうび、いつどこにいてもLINEでつながり、ビデオチャットを使えば、1000キロ離れた相手とだって睦言を交わしあえるご時世だ。

だからこそ、万難を排してでも、「今すぐ会いたい!朝まで待てない!」という突飛な行動が、どんな言葉よりも尊い。
移動した距離が、言葉以上のしんじつな想いを雄弁に物語る。

どれほどテクノロジーが発展しても、自然の摂理は変わらない。
万物が生成発展してゆくのも変わらない。
男と女の摂理、その関係発展の成り立ちも変わらない。
男と女に限らず、女と女、男と男、愛するもの同士の成り立ちも変わらない。

さいごに~『男と女』の動画を配信しているサービスは?

『男と女』を動画配信しているサービスはありません。(2024年現在)
DVDを購入するか、TSUTAYA等でレンタルするしかありません。
あるいは図書館で借りることもできるでしょう。

『男と女』は以下にあてはまる方におすすめです。

  • まったりとした大人の恋愛映画がお好みの人
    『男と女』は、大人の男女の繊細な感情の機微をきめ細やかに描いており、日本やハリウッドの恋愛映画とは趣が異なります。
  • フランス映画ファンの人
    フランス映画のエスプリ、エレガンスをたっぷり堪能できます。
  • 60年代の雰囲気を味わいたい人
    瀟洒なパリの風景は素晴らしく瀟洒で、つい行ってみたくなります。
  • フランスを代表する俳優の演技を堪能したい人
    アヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンの演技は肩ひじ張らず繊細かつ自然な演技。名優の演技が楽しめます。

ぜひこの機会に、「ダバダバダァ…」を体験してください。
さりげなくしつっこくて申し訳ありませんが、日曜午後3時がおすすめです。


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