『プリティ・ウーマン』(1990年)
主演:ジュリア・ロバーツ/リチャード・ギア
1990年世界中の女性を虜にした、リチャード・ギア&ジュリア・ロバーツ主演による現代版シンデレラストーリー。成功した実業家が偶然出会った娼婦と一緒に過ごした夜から、ふたりの人生はドラマティックに展開してゆく。見ればハートフルになる傑作ラブロマンスの魅力をご紹介。
- 極上のシンデレラ・ストーリーに心ゆくまでひたりたい方
- パートナーとの関係をさらに深めたい方
- ふだんの生活にときめきが不足している方
- 恋愛モノは苦手で敬遠している方
『プリティ・ウーマン』感想
大の男でも涙腺が緩んでしまう3つのシーン
子どもの頃、『プリティ・ウーマン』をリアルタイムで見てなんの感興もそそらなかったのに、大人になって見たらまったく印象が違うものですねぇ。。。映画の中で3度涙腺が緩みました。「大の男がプリティ・ウーマンで涙するかぁ……」と自分でも気恥ずかしかったです。本作にしろ、『マイ・フェア・レディ』にしろ、シンデレラストーリーの話型、類型というのは、人間のデリケートな琴線にそっと触れるのでしょう。
せっかくですから、大の男が、心を奪われ 胸が震えた3つのシーンを書いておきますね。
①ビビアンがそれまでの娼婦姿からエレガントなカクテルドレスに着替えて登場するシーン
さなぎが羽化して蝶になって羽ばたくように、ぱっとしない女性がエレガントに華麗に変身していく姿には、理屈抜きに人を感動させるところがあります。
②ビビアンがヴェルディのオペラ『椿姫』を鑑賞後、感極まって目を潤ませるシーン
はじめて鑑賞するオペラに激しく心揺さぶられるビビアン。オペラの美しさに感応する心━━ その心をもつ人が美しいということです。
③ラストシーン
一幅の絵画です。「うん、そうそう、そうこなくっちゃな」と、しっかり甘美な余韻にひたれるラストを怠りなく用意してくれています。
映画を見終わったあと「してやられちゃったな……」と、スカッと心地よい敗北感を味わってしまう。監督ゲイリー・マーシャル、手練れの仕事です。
御都合主義なシンデレラストーリーが持つ「底力」
『プリティ・ウーマン』は、良くも悪くも、これでもかというくらい味付けのはっきりしたロマンスです。好きな人には熱烈な歓迎をもって受け入れられるし、嫌いな人はまったく取るに足りない作品として一蹴するかもしれません。
嫌いになる理由として考えられるのが、主演のふたりがリアリティーを欠いていること。成功者で二枚目の実業家に、とびきり美人の娼婦という設定では、「いくらなんでも御都合主義にすぎる」「どうせありふれたシンデレラストーリーでしょ」と考える人も少なくないでしょう。
ところが、この「御都合主義なシンデレラストーリー」、公開当時熱烈に歓迎されたのです。
『プリティ・ウーマン』の公開は1990年。
1990年といえば、アメリカは富める者と貧しき者の二極化が進んでいました。(日本はちょうどバブル末期の浮かれムードで、やたらとギンギンギラギラしている人が多かった)
『プリティ・ウーマン』のような大人のファンタジーが受け入れられた背景には、多くの労働者が失業し貧困にあえいでいたという現実があります。 シビアな現実を生きざるをえないから、せめて映画では現実を忘れたい━━ そんなニーズに「シンデレラストーリー」はぴったりフィットしたのではないかと。ふだん見向きもしないクールなリアリストもなんとなく心情的に大人のファンタジーを求めたってことは大いにあるかもしれない。
おとぎ話でもいいじゃないかと。ご都合主義でもいいじゃないかと。ファンタジーを思う存分堪能して、明日からの活力にしてもいいじゃないかと。せめて虚構の中でくらいはハッピーエンドを満喫したい━━ そんな人々の切実な要請に応える ”底力” を「シンデレラストーリー」は持っています。ビビアンもエドワードもその存在が非現実であるがゆえに真に迫るものがあるのです。
「恋愛モノは苦手!」という人にこそ、『プリティ・ウーマン』を一度は見てほしい。おとぎ話で御都合主義とわかっていても、その先入観を乗り越えてきて真に迫ってくる「何か」を感じるでしょう。
『プリティ・ウーマン』のキャストについて
エドワード(リチャード・ギア)
穏健でジェントルだが、ことビジネスには私情をもちこまない実業家。そんな役柄がぴったりハマっています。ふだんは薄味で抑え気味ゆえに、激昂するシーンにおける感情のほとばしりには鬼気迫るものがある。
スマートな物腰、ディセンシーを重んずるふるまい。一挙手一投足にリチャード・ギアの知性や教養がにじみでています。女性じゃなくても、「ほぉ…」と見とれてしまうほど。
この人の持ち味は、”大人の品位を保持した紳士の青臭さ” と言えばいいでしょうか。ある種の青臭さというのは、その人の色気と一体不可分のように思います。青臭さを欠いたリチャード・ギアなんて想像できません。
ビビアン(ジュリア・ロバーツ)
溌剌として奔放、それでいて教養以前、育ち以前の「淑女性」を持ち合わせている。そんなヒロイン・ビビアンを体当たりで演じています。
劣悪な環境にあっても、ハスッパになりきれない芯の強さが、ビビアンの個性にエレガントな輝きを与えているようです。
撮影当時ジュリア・ロバーツは22~23歳くらいでしょうか。セクシーな中にも、あどけなさが垣間見える。あざとさもなく小賢しさもない、率直に心を開いていくありようが、ビビアンを艷やかで可愛らしい存在しています。
トンプソン支配人 (ヘクター・エリゾンド)
名作には、必ずといっていいほど名脇役が存在するものですが、『プリティ・ウーマン』における名脇役は、ビバリーウィルシャーホテルのトンプソン支配人です。この人がいないと物語は立ち行きません。
彼は一流ホテルの支配人として、ビビアンを淑女として尊重します。正確に言えば、淑女として敬意を払えるようにビビアンを正しく導いていくのです。エドワードとビビアンのために「粋な計らい」をするところがなんとも心にしみる。
この映画を見終えてやさしくあたたかい気持ちになれるのは、トンプソン支配人の存在によるところは大きいのではないでしょうか。なかなか ”いぶし銀” な俳優さんだなあと感心しました。
『プリティ・ウーマン』作品情報
監督 | ゲイリー・マーシャル |
脚本 | J・F・ロートン |
撮影 | チャールズ・ミンスキー |
音楽 | ・ジェームズ・ニュートン・ハワード ・ロイ・オービソン(主題歌「Oh, Pretty Woman」) |
出演 | ・エドワード・・・リチャード・ギア ・ビビアン・・・ジュリア・ロバーツ ・トンプソン支配人・・・ヘクター・エリゾンド ・キット・ド・ルカ・・・ローラ・サン・ジャコモ |
ジャンル | 恋愛 |
あらすじ
エドワード(リチャード・ギア)は、企業買収で功成り名遂げた紳士。ビジネスにおいてはどこまでも冷徹で、会社の乗っ取りもためらわないほどクールな現実主義者。彼ははひょんなことから街でビビアン(ジュリア・ロバーツ)という娼婦と偶然出会う。無邪気で率直なビビアンにゆえなく心惹かれたエドワードは、3000ドルで一週間一緒に過ごす「契約」をかわす。やがてふたりは心を通わせていくが……
人は相手から感化されることなしに、相手を感化することはできない~『プリティ・ウーマン』コラム
『プリティ・ウーマン』は、ビビアンのシンデレラ・ストーリーとして楽しめますが、エドワードの側から見るとどうでしょう? 僕は今回『プリティ・ウーマン』を2日連続で見ましたが、2度めはエドワードという男性の人間的成熟の物語として楽しみました。
エドワードは、ビジネスにおいては冷徹な乗っ取り屋です。生き馬の目を抜く企業買収の世界において、惻隠の情は意思決定の邪魔にしかなりません。しかし、ビビアンと過ごし心を通い合わせていくうちに、エドワードの心境は変化します。
エドワード自身、ビビアンから影響を受けたからこそ、ビビアンもまた女性として大きな変化を遂げたのです。もし、エドワードが自らの立場に固執し続けたとしたら、『プリティ・ウーマン』の結末は大きく変わることでしょう。あまり歓迎されない結末であることは想像に難くありませんが。
そこから、カップル、恋人、夫婦の絆を深めるためのひとつの教訓が浮かび上がります。それは、いっぽうが感化されっぱなしの非対称な関係は、長く続かないということ。なぜなら、お互いに影響を及ぼしあい、向上しあうなかで関係構築は進んでいくからです。
人は、相手から感化されることなしに、相手を感化することはできない━━ これは恋人や夫婦の関係における万古不易の鉄則といっても過言ではありません。自分が相手から感化を受けるという仕方で、相手に感化を与えていく。そのようにしてふたりの絆はいっそう緊密に深まり、より確かな足取りで「成熟」の道を進んでゆけるのではないでしょうか。もちろん、シングルで生きてゆくというのも立派な選択だと思いますが……。
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