『ローマの休日』(1953年)
主演:オードリー・ヘップバーン/グレゴリー・ペック
オードリー・ヘップバーンを世界的なスターにしたラブロマンスの不朽の名作。時を経ても色あせない王女アンのとびっきりの可愛らしさ。美しいローマの町並み。そして切ないラスト。何度見ても感動で胸がいっぱいになる『ローマの休日』の感想と見どころをご紹介。
- 映画史に残る不朽のラブロマンスを見たい人
- 愛くるしい時期のオードリーをチェックしたい人
- 美意識を高めたい人
- 白黒映画はつまらないという先入観が強い人
- 異国情緒ただようローマの風景にとっぷり浸りたい人
『ローマの休日』感想
見るたびに新しさ発見!これぞ古典!
あまり使いたくない定型句ですが、やはりこの表現がぴったりきます。
「時代を超えた名作」であると。
令和の時代に見てもまったく古臭くありません。「見るたびに新しさを発見する」━━ というのが古典の定義ですが、『ローマの休日』は映画史のなかで燦然と輝き続ける「古典」と申し上げていいでしょう。
スジがわかっていても、つい見てしまう。最後はしっかり感動してしまう。そしてすっかりオードリー・ヘップバーンのファンになっている。
日本もヘップバーンカットがトレンドに!
1954年に日本で公開されるやいなや熱烈に迎え入れられたようです。アン王女のようなヘアスタイルが、当時のご婦人がたに流行したとのことですから、日本でもオードリー・ヘップバーンはファッションリーダーとして確固たる地位を確立しました。
そりゃそうだろうと思います。僕でさえ髪型を真似したくらいですから。
・・・あ、いや、ヘップバーンじゃなくて、グレゴリー・ペックのですよ。それくらい影響力のある映画です。
監督ウィリアム・ワイラーの「匠の技」
ストーリーは明快で、感動を押し付けるような野暮ったさもありません。王女アンのナチュラルな愛くるしさ際立たせているのは周到に練られた脚本によるところも大きいでしょう。
そして監督ウィリアム・ワイラー。匠の技が冴え渡っています。観客を陶然とさせる妙所を心得ているといいましょうか。
街へ飛び出したばかりのアンは、緊張のためか襟元までブラウスのボタンをとめています。ところが、ジョーと一緒にローマの街を散策しているうちにすっかり打ち解けて、ブラウスのボタンを外してチャーミングなスカーフを巻いています。アンの気持ちの変化を着こなしで表現したところはなんとも心憎いですね。
出不精な人間でも「ローマ」に憧憬の念を抱いてしまう
そして舞台となるローマ。モノクロ映画だからこそ表現できる鮮やかさ、ビビッドな美しさがあることをこの映画は教えてくれました。
旅行に食指が動かない出不精な僕でさえも、もし外国に行くならローマと決めています。もちろん、この映画の感化されたからです。まさに懦夫をして起たしめる力が『ローマの休日』にはあります。
今後テクノロジーの発達によって、『ローマの休日』がカラーで甦ることがあるかもしれません。登場人物たちはもとより、フォロ・ロマーノ、スペイン広場、コロッセオ、パンテオン、「真実の口」、ベスパを乗り回しながら廻る名所……これらの美しい光景がAI技術によってカラーで復元されたら、さだめし素晴らしい映像になるでしょう……でも、『ローマの休日』という作品は、、、
AI技術でカラーで再現しなくても、目が覚めるくらいカラフルなモノクロ作品
僕としては、モノクロの『ローマの休日』が放つ珠玉の輝きを慈しみたい。白黒作品でも目が覚めるくらいカラフルな作品ですから。
ある種の芸術作品には、わかりやすい美を加えることで、かえって損なわれてしまう ”みずみずしさ” や ”色つや” というものがあるのではないでしょうか……。
ウィリアム・ワイラーさんはどう思うんだろう?モノクロという条件(制限)による創造の精華としての、『ローマの休日』だと思うのですが……。
『ローマの休日』のキャストについて
王女アン(オードリー・ヘプバーン)
この映画に出演しているヘプバーンの美しさは、「突き抜けているけれど、それでいて温かく親密」です。銀幕のスターにつきづきしい美しさといえましょう。淑やかに持てる力を出しきって、無邪気でイノセントな王女を演じています。
演技力で大役をこなそうというのではなく、可憐で貞淑な ”歌心” を最後まで保ち続けたことで、結果的にムダな動きがなく均整のとれた王女になったという感じです。映画の冒頭で、王女アンがドレスのなかで靴をぬいでしまうシーンがありますが、ああいうお行儀の悪さすらチャーミングなのだから、もうシャッポを脱ぐしかありません。
だからといって、あざとさはまるでありません。あざとさすら寄せ付けない、育ちの良さと気品がうかがえます。当時のオードリーがこのSNS時代に生きていたら、世界中から何億もの「いいね!」が集まったでしょう。
誰もが応援したくなるような美しさ、嫉妬されない愛おしさをこの人は体現しているように思います。
ジョー(グレゴリー・ペック)
正統派二枚目という感じのグレゴリー・ペック。最初は特ダネの対象としてアンに近づくものの、一緒に過ごすうちに淡い恋心が芽生える新聞記者ジョーを堅実にこなしています。
気持ちが推移して様子を、仰々しさを抑えながら表現しているところに好感が持てました。俳優として余裕がうかがえるというか、ちょっぴり遊びすぎているような気がしないでもありませんが、それがこの物語にとってほどよいスパイスになっているようです。短兵急に結論を急ぐ性急さは注意深く取り除かれ、一定の節度を保つなかで紳士的にはっちゃけている。そんな演技です。
「真実の口」の前で、ジョーとアンが一緒にふざける有名なシーンがあります。嘘をついている者は手を抜けなくなるというあの「真実の口」ですね。劇中、ジョーは手を入れた直後、「真実の口」に噛まれて、アンをびっくりさせるのですが、あれはグレゴリー・ペックのアドリブでした。ヘプバーンから「素」の驚きを引き出したのです。
撮影当時からペックは、ヘップバーンがオスカー受賞を確信していたようです。それを承知のうえで、自分は一歩身を引いて、「王女アン=ヘプバーン」の魅力を引き出せるだけ引き出した。そこにグレゴリー・ペックの役者としての大柄な器量がうかがえます。
そんな観点から見直すと、また違った表情の『ローマの休日』が楽しめるかもしれませんね。
『ローマの休日』作品情報
監督 | ウィリアム・ワイラー |
原案 | ダルトン・トランボ |
撮影 | アンリ・アルカン/ フランツ・プラナー |
音楽 | ジョルジュ・オーリック |
出演 | ・王女アン・・・オードリー・ヘプバーン ・ジョー・・・グレゴリー・ペック ・アーヴィング・・・エディ・アルバート |
ジャンル | 恋愛/ロマンティックコメディ |
受賞 | 【1954年(第26回)アカデミー賞】 ・アカデミー主演女優賞 ・英国アカデミー最優秀主演英国女優賞 |
ストーリー
とある国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)は、ヨーロッパ各国を周遊中。ローマに滞在したおり、分刻みのタイトなスケジュールに嫌気がさして、無断で街に繰り出してしまう。
外出する前に鎮静剤を注射されたため広場で寝込んでいたアンを、偶然通りかかった新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)が保護する。自分のアパートにアンを泊めたジョーは、翌日になって彼女が王女であることを知って驚く。特ダネのためにアンのローマめぐりに随伴。カメラマンのアーヴィング(エディ・アルバート)を呼び出し、ひそかに写真を撮らせる。
しかし、一日中ローマの街を冒険しているうちに、ふたりは抗いがたく惹かれ合ってゆく。
「古い」or「新しい」という価値基準それ自体が古くさく思える、「古典の価値」
『ローマの休日』は今の時代に見ても十分楽しめて感動できます。取りも直さずそれは古典の持つ普遍的価値が、この映画にはあるということです。
ところで先ほど、古典の定義として、「見るたびに新しい」と述べました。もっと正確を期するなら、「古い」or「新しい」という基準すら超越しているのが古典の価値といえます。古い=ダサい、新しい=おしゃれという価値基準もわからないではありませんが、新旧の基準でしか、ものごとの価値をはかれないということですよね。新旧の基準しか持ち合わせていないと、善し悪しのわかる範囲が限定されるために、とりこぼしてしまう価値も少なくありません。
「古典」に触れると、ものを見る眼が鍛えられます。ものごとの善し悪しのわかる範囲が拡張されて、新旧の基準だけでは拾いきれない価値の存在を理解できるようになるでしょう。それは人間に対する理解を深めることを意味するのです。
たとえばビジネスにおいては、短期的利益だけを追い求めるのでは早晩疲弊するのは避けがたい。ですから傑出した経営者ほど、持続可能性の高い事業を追求するために「古典」の叡智を学んでおられます。ビジネス書の古典だけでなく、歴史や哲学や芸術、いわゆるリベラルアーツに重きを置いているのです。
人間関係においても「古典」から引き出せる滋養は計り知れません。人間に精通している人ほど、古典文学に親しんでいます。
もしあなたが「文学作品は苦手だな……」とお考えであれば、ぜひ古典映画を見てください。時間の淘汰を受けてもなお輝き続ける映画には、人間の真実が描かれています。そこにはテクノロジーが進歩した時代でも十分通用する万古不易の叡智や、卓越した美意識が潜んでいるようです。アン王女の着こなしにおける創意と工夫には、時代を経ても見るべきものがありますよね。たぶんこれから先も。
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