映画『卒業』動画の感想※輝ける青二才の物語

卒業(ダスティン・ホフマン)

『卒業』(1967年)

主演:ダスティン・ホフマン

サイモン&ガーファンクルの透明感あふれる名曲「サウンド・オブ・サイレンス」とともに、アメリカン・ニューシネマの幕開けを告げる作品として印象付けた青春映画の傑作。ほとんど無名に近かった30歳のダスティン・ホフマンをスターダムにおしあげ、作品は第40回(1968年)アカデミー賞監督賞部門を受賞。『卒業』のレビュー。

出典:Amazon.com
目次

『卒業』一筆感想

青二才のきらめき
『卒業』を見て感じた印象を筆のすさびで表現

『卒業』のあらすじ

ベンジャミン・ブラドック(ダスティン・ホフマン)は東部の大学を優秀な成績で卒業しカリフォルニアに帰ってくる。だが彼は将来へ不安や名状しがたい焦燥感に駆られて、自らの進路を決めかねていた。

両親が開いた卒業パーティーで父親の共同経営者であるロビンソンの妻(アン・バンクロフト)に誘惑されて、何度も情事を重ねてしまうベンジャミン。やがてロビンソン夫妻の娘エレイン(キャサリン・ロス)が帰郷。ベンジャミンは無垢なエレインに心を打たれ、彼女への愛を確信する。

そんなベンジャミンに対し、ロビンソン夫人はエレインと別れるように迫るが……

『卒業』レビュー

映画『卒業』の5段階評価
映画『卒業』の個人の評価

共感できないが、嫌いになれない

主人公のベンジャミン、とことんいけ好かないやつです。
まったく共感できません。・・・共感できないのに、なぜかさいごまでこの人の成り行きを追ってしまう━━ そこに『卒業』という作品の非凡さがあります。

最初に中学生くらいのときに見て、次に青年時代にも見て、そして今回見ても新鮮でした。しかも2夜連続見てしまいました。なのにまったく共感できない。なにしろ『卒業』を見ながら、「なにしとんねん、この兄ちゃん」とツッコミを入れたり、「はぁ・・・だめだこりゃ」とため息をついたり、けっこうヤキモキさせられました。

あまりにも有名な花嫁をさらうシーンでも、「ええかげんにせえよ!この兄ちゃん」と呆れ返りながらも、「まあ、しゃあないか……」と共感できないまま満足しているという。変な言い方ですが、若気の至りっぷりが堂に入っているのです。嫌いになれません。

自分の中に「青二才性」を刺激される

思うに観客は、主人公ベンジャミンに自分の「青二才」な側面を投影してしまうのかもしれません。『卒業』を見ている自分の中にも「青二才性」があることを痛烈に自覚させられる。青春時代の無軌道や無反省がハッと思い起こされて気恥ずかしくなるのです。

そんな気分に、『卒業』のテーマ曲である「サウンド・オブ・サイレンス」(サイモン&ガーファンクル)が、心地よく馴染むのですね。あの透き通るようなみずみずしさが、こっ恥ずかしい青春時代を正当化してくれるような。

これからも何度か『卒業』を見ることになるかもしれませんが、そのたびに自分の中の「青二才性」を刺激されて、複雑な思いにとらわれるのかもしれません。自分の中の「青二才性」が消えたら、この映画を繰り返し見ることをいいかげん「卒業」できそうです。

アメリカン・ニューシネマの旗手マイク・ニコルズ監督の才気

『卒業』の主人公に共感できないまま最後まで見てしまうという方は僕だけではないかもしれません。襟首つかんで物語の最後までひっぱっていくようなストーリーの牽引力。これは監督マイク・ニコルズの手腕によるものです。

喜劇のような作り方をしているけれど、物語にはシリアスなメッセージを織り込んでいます。マイク・ニコルズは、大学を卒業したナイーブで説明し難い不安を抱えた青年の物語を通して、1960年代アメリカにおける「時代の病」のようなものを浮かび上がらせているのかもしれません。

映画の最後、教会から逃げ出した若いふたりが解放感で幸せいっぱいかといえば、なんだか表情に暗い影を落としている。とてもじゃないけど「めでたしめでたし、よかったね」と思えない。なんだかちっとも羨ましくないのです。

いわく言い難い「しこり」のようなものを観客の中に置き土産として残していくところに、アメリカン・ニューシネマの旗手と呼ばれるこの監督の類まれな才気がうかがえます。

こんなあなたに『卒業』を見てほしい

  • 将来に対して漠然とした不安を抱える学生の方
  • 将来の方向性が見えない学生の親御さん
  • ベテラン年長者から実力を認めてもらえず、くすぶり続けている若手の方
  • 自分の「青二才時代」を回顧して、とっぷり感慨に沈んでみたいベテラン年長者の方

きっと、『卒業』には、見る者のデリケートな心の琴線に触れる何かがあるのでしょう。ただし、1.5倍速で筋だけ追うような見方をしても、この作品が放つ青春の息吹や未熟さ、ユーモアとペーソスがないまぜになった豊かな寂寥感は伝わってこないと思います。「行間」に滋味が潜んでいる映画だからです。

『卒業』のキャストについて

ベンジャミン・ブラドック(ダスティン・ホフマン)

てらいのない率直な演技で、こなれた「青二才」に扮しているダスティン・ホフマン。アクターズスタジオで学び、舞台で活躍して、役者として着実に実力をつけてきたことがうかがえます。ストイックで求道的なものさえ感じられる。

一見、過剰演技なようでいて、ぎりぎりのところで抑制をかけながら、若者特有の焦慮や屈託、葛藤、愚かしさ、胸奥にある熱源のほとばしりを見事に表現。「しっかり仕上げているなあ」という印象です。

ベンジャミンは21歳の青年ですが、撮影当時、ダスティン・ホフマンは30歳。しかも、ロビンソン夫人を演じるアン・バンクロフトは撮影当時36歳。たった6歳しか離れていません。

「青二才」には共感しかねますが、ダスティン・ホフマンの「老獪」な演技力には素直に敬意を払ってしまいます。

ロビンソン夫人(アン・バンクロフト)

目がくらみそうな香気が画面越しから伝わってくる、なまめかしい夫人を演じています。客筋のよい、場末のスナックのママのように見えなくもありません。

最初に『卒業』を見たときは、ただただこの人に圧倒されて、「あわわっ!あわわっ!」と慌てふためいたことを思い出しました。当時はこういう言葉は知りませんでしたが、まさに「肉食系マダム」ですから。

ロビンソン夫人は、「綺麗ごとなんか願い下げよ」と言わんばかりの大人の世界の象徴的存在として、「青二才」の前に立ちはだかります。ベンジャミンを手玉にとって、誘惑していく手さばきはなんとも老練。その手練れの技に男はイチコロです。

ロビンソン夫人は、己の「業」を肯定して欲望に流される女性ですが、さいごまで品位を保っています。「品の下りかた」にも品がある女性です。アン・バンクロフトだからできる芸当でしょう。

エレイン(キャサリン・ロス)

ロビンソン夫人の娘。
妖艶な母に、可憐にして無垢な娘。
このコントラストが鮮やかです。

芯の強さと淡い哀しみをたたえた、まつげの長い明眸は、当時の映画ファンの心をくすぐったことでしょう。ラストの花嫁姿のこの人の目には底知れぬ深みがあって、見る者に鮮烈な印象を残します。

『卒業』から2年後、キャサリン・ロスは『明日に向って撃て!』(1969年)で、さらに女優としてステップアップしてその地歩を固めました。

『卒業』作品情報

監督マイク・ニコルズ
脚本カルダー・ウイリンガム/ バック・ヘンリー
撮影ロバート・サーティース
音楽ポール・サイモン/ デイブ・グルーシン
出演・ベンジャミン・・・ダスティン・ホフマン
・ロビンソン夫人・・・アン・バンクロフト
・エレイン・・・キャサリン・ロス
・ミスター・ロビンソン・・・マーレイ・ハミルトン
上映時間107分
ジャンル青春恋愛映画
まめやかコラム

【コラム】大人や社会に「健全な疑念」を持つ大切さ

『卒業』が公開された1967年には、『俺たちに明日はない』も大ヒットしています。まさにアメリカン・ニュー・シネマ幕開けの年でした。これまでのハリウッド映画とは一線を画する固定観念にとらわれない作風が新鮮で、当時の若者を中心に支持されたようです。

アメリカン・ニュー・シネマの特色は、既存の社会体制や権威に対し「NO!」と突きつけ、屈託を抱えた登場人物を主役にして正面から活写しているところにあります。『卒業』も例外ではありません。「輝ける青二才」による反抗の物語です。

とはいえ、監督のマイク・ニコルズは『卒業』を通して、若者たちに向けて反抗をそそのかしているわけではありません。岡惚れした異性の結婚式をぶちこわすようなラディカルな行為を推奨しているわけでもない。もしあからさまにそういうメッセージを含ませたならば、『卒業』は今とはまったく違う評価のされ方をしていたでしょう。

では『卒業』から引き出せる教訓は何か?
あっさり言えば、「社会に対して疑念を持て!」です。

人生における微妙で繊細な時期に、疑う余地のないほど当たり前な社会のありようや大人の世界に対して、一度でも疑念を持った方がいい━━ 僕はこの映画からそんなメッセージを読み取りました。自明な社会のありかたに、真摯な疑いのまなざしを向けるというかたちで、自分を含めた人間存在を相対化し、自らの価値観を点検することができるのではないかと。

それは「健全な疑念」と呼んでもいいでしょう。

「健全な疑念」を持ったからといって何もわざわざレールから逸脱することはありません。反社会的行為に走ることはない。ただ社会や権威が認める「枠組み」を、ひとり静かに疑うのです。読書をして先人の知恵を借りるのもいいでしょう。

「健全な疑念」を持つメリットには捨て難いものがあります。自分の頭でものを考える訓練になり、精神に活力がみなぎり、人間的成熟を促してくれるからです。

既成の価値観や枠組みに対し「健全な疑念」を差し挟むことは、複雑で豊かな大人になるために欠かせない、思考レベルの「通過儀礼」だと僕は考えています。「綺麗ごとなんか願い下げよ」でいいのです。徹底的に疑ってみる。そんな静かな内的プロセスを突き抜けることも、ひとつの「卒業」だと。

ところであなたは、「卒業」はお済みでしょうか?

\ 記事を読んでいただき感謝!/

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