『悪い奴ほどよく眠る』感想考察※厳かで味わい深い「隔靴掻痒」の感

『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)

主演:三船敏郎/森雅之/香川京子

巨匠・黒澤明が東宝を退社後に設立した黒澤プロダクション第1作は社会派サスペンスの力作。当時世相を賑わした汚職事件をテーマに、濡れ衣を着せられ自殺に追いやられた父の仇を討つために主人公が「悪い奴ら」を追い詰めていく。練りに練られたシナリオ、スリリングな展開、迫力あるモノクロ映像は見ごたえたっぷり。『悪い奴ほどよく眠る』の考察と感想、役者の演技のみどころについて綴ります。

このページではこんな疑問を解決します!
  • 『悪い奴ほどよく眠る』のあらすじが知りたい
  • この作品の感想、考察、みどころは?
  • キャストの演技、魅力について知りたい
目次

『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)作品情報

一筆感想

これ絶対悪いやつ
『悪い奴ほどよく眠る』の感想を筆のすさびで表現

作品データ

監督黒澤明
制作田中友幸/黒澤明
脚本小国英雄/久板栄二郎/菊島隆三/橋本忍/黒澤明
音楽佐藤勝
原案井上芳男
撮影逢沢譲
美術村木与四郎
出演三船敏郎(西幸一)
森雅之(岩淵)
香川京子(岩淵の娘・佳子)
志村喬(守山)
西村晃(白井)
加藤武(板倉)
藤原釜足(和田)
三橋達也(岩淵辰夫)
上映時間151分
ジャンル社会派サスペンス

『悪い奴ほどよく眠る』あらすじ

物語は盛大な披露宴から始まる。
「日本未利用土地開発公団」 ━━ いかにも金権臭がにおってきそうだが、その副総裁岩渕の娘・佳子が新婦であり、岩渕の秘書・西幸一が新郎の挙式だ。新聞記者やカメラマンがつめかけたのも、その臭いにつられてのことだろう。

そんな中、披露宴会場に捜査二課の刑事が現れ、公団の契約課長補佐・和田を贈収賄事件の容疑者として連行。
会場はにわかに色めき立つ。

さらに宴席が騒然となる出来事が起こる。
八階建ての新庁舎をかたどったウェディングケーキが運ばれてくるが、7階部分に一輪のバラが突き刺さっていた。
5年前、不正入札事件が起こったとき、新庁舎7階から古谷という課長補佐が飛び降り自殺を図ったのだ。
バラは明らかに古谷の事件を指し示している。
不正入札事件には、岩渕と、公団管理部長の守山、契約課長の白井が関わっているため、彼らは動揺を禁じ得ない。

連行された和田は地検で厳しい取り調べを受けるものの黙秘。
いっぽう贈賄側の大竜建設重役・三浦も自白しなかった。
やむなく検察は高知期限切れで和田と三浦を釈放するが、三浦は自殺。
和田も死に場所を求め、噴煙をあげる谷に向かうが、火口に身を投げる直前で何者かに襟をつかまれ自殺は阻止される。
和田の前に立ちはだかったのは、副総裁の女婿・西だった。

西は和田を彼のアジトに連れていきかくまう。
和田に自分の告別式を見せながら、上役の守山と白井が彼の死を喜び、安堵している証拠をつきつける。

「きさまが忠義立てしている上役は、祝杯をあげているぜ」とすごむ西に、和田は慄然とする。

いったい、西幸一とは何者なのか?

彼は、5年前に自殺した当時の課長補佐、古谷の遺児であり、友人の板倉と戸籍を交換し、岩渕の懐に潜り込んだのだった。岩淵ら「悪い奴ら」に鉄槌を下すために。

和田を味方に引き入れた西と板倉は、手始めに、白井を罠に陥れようと画策。
ある日、白井が収賄の金500万円が入った貸金庫を取り出したところ、一葉の写真以外なにもない。
古谷が自殺した新庁舎写真である。
金庫を管理しているのは、白井と和田だけだ。
和田が死んだ以上、白井が疑われるの必定だった。

岩渕や守山に責め立てられ、瀬戸際に立たされた白井に追い打ちをかけるように、死んだはずの和田が目の前に現れる。
半狂乱の白井を、西が拉致。
父が無念の飛び降り自殺をした庁舎の7階に閉じ込め追い詰めていく。
白井は精神病院に送られたのだった。

後日。一連の不可解な出来事は、すべて5年前の事件に結びつく ━━ そう気づいた岩渕と守山は、自殺した古谷こそ “犯人” を手繰り寄せる重要な糸と考え、古谷の姻族関係を徹底調査。
古谷の未亡人を訪ねた守山は、古谷に隠し子がいる事実を告げられる。
未亡人はおもむろに古谷の出棺のときの写真を取り出し、沈痛な面持ちで語った。

「電柱の陰に立っているこの人、こんなに辛そうな顔をして……わたしには他人とは思えない……もしかして、この人が古谷の息子なんじゃないかと」

写真を見るが早いか、守山は言葉を失う。
写真に映った、電柱の陰から悲しそうに古谷の亡骸を見送る男は、岩渕の秘書にして女婿、西その人だった。

『悪い奴ほどよく眠る』感想と考察、みどころ

元気な子供もよく眠る

黒澤映画『悪い奴ほどよく眠る』を初めて観たのは、ちゃらんぽらんで元気なだけが取り柄の子供の頃でした。
VHSビデオの時代。

テーマがテーマだけに、子どもにはいささか晦渋で、とっつきにくいなあとずいぶん鼻白んだものです。ただ白黒によるダイナミックな陰影は印象に残り、とくに西村晃演じる白井のビジュアル。人間の凄みといえばいいでしょうか。

しかし印象はそれだけで、途中でつい、うつらうつら船を漕ぎだして、目を覚ましたらとっくに映画が終わっていました。日中映画を観ると途中で気持ちよく眠ってしまう。夜は夜で、またぐっすり眠ってしまう。「悪い奴ほどよく眠る」けれど、元気な子どもだってよく眠る。

当時、どんなに夜ふかししてもいよいよ目が冴えてしまう映画が、五社英雄作品でした。小学生の頃は、黒澤映画よりも五社英雄作品のほうが、そくそくと肌に迫るものがあったのです。われながら変な子どもだったと思います。

ところが大人になって、五社英雄作品を観たら、どぎつさが胃にもたれるようになり、黒澤作品の良さがわかるようになりました。いずれの黒澤作品にの言えることだけれど、映像で語りすぎないことで、観客の想像力を刺激するのです。

今回『悪い奴ほどよく眠る』を視聴して、「なんて濃密で、格調高い言葉が飛び交う映画なんだろう」と何度も唸らされました。

黒澤黄金期の不入り作品、しかし骨太な名作

『悪い奴ほどよく眠る』は、1959年に設立された黒澤プロダクション第1作。
すでに評価と実績が定まった黒澤明だけに、心に期するところがあったのでしょう。

この作品の製作動機をこのように語っています。

プロダクションが出来たら、早速儲けのための写真を作ったなどといわれるのがシャクでね。一番難しいものに取り組んでやろうと思った

謀反気たっぷりな監督らしい発言です。

ところが興行的には不入り。
汚職をテーマにした社会派よりも、胸のすくようなチャンバラやアクションが娯楽として求められたのでしょう。

しかし、黒澤明の創作意欲は旺盛で、このあと、『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』という芸術的にも興行的にも優れた映画を作りあげます。ある意味、『悪い奴ほどよく眠る』は一連の大作群の足がかりになった作品ともいえる。

当時の評判はどうあれ、今の時代に動画で観てもまったく退屈さを感じません。
娯楽としても芸術としても懐が深く、役者の持ち味を引き出しきっている黒澤明の辣腕は見事なものです。

フランシス・フォード・コッポラほど激賞できないけれど、『悪い奴ほどよく眠る』は骨太な名作であることに僕は怪しみません。ちなみに、コッポラの『ゴッドファーザー』の冒頭も結婚披露宴から始まります。『悪い奴ほどよく眠る』のオープニングからインスパイアされたのは想像に難くありません。

冷徹だけど冷酷になりきれなかった主人公の “脇の甘さ”

汚職・疑獄事件を背景にした復讐劇の主人公は、三船敏郎演じる西幸一。
どこまでも冷徹で目的のためには手段を選ばぬ男です。計画は、精緻にして用意周到。相棒の板倉とともに汚職の構造を暴き、父の仇である岩渕らを追い詰めていく。

西は復讐のためだけに岩渕の秘書として潜り込み、その娘・佳子と結婚。女婿にまでなるのだから大胆極まりない。知性、勇気、実行力に不足はなく、どこまでも冷徹な西。しかし冷徹になれても冷酷にはなりきれませんでした。

物語の後半。西の正体を知った岩渕は、西を “始末” するために画策します。いっぽう西は復讐の手段として伴侶にした佳子にいつしか本物の愛情を抱いてしまう。これが命取りになります。水を漏らさぬ計画に「隙」が生じ、そこから悲劇的な破綻へと展開していくのです。

もし西に悪を憎みきる冷酷さが具わっていれば、『悪い奴ほどよく眠る』の結末は大きく異なっていたでしょう。佳子に情愛を感じなければ、西は岩渕が放った刺客をうまく撒けただろうに ━━ 。しかし、物語としては悲劇でも、主人公の “脇の甘さ” に人間的な温かみを感じて共感を覚えるのです。

社会的に意義にあるテーマで人間の運命の皮肉を描いてみせた、黒澤明のストーリーテリングと造形力の確かさには、いつもながら唸らされます。

「スッキリしない後味」に意義がある/「隔靴掻痒」にも上質な味わいがある

「悪い奴ら」は岩渕らだけでなく、さらに上に存在する巨大な黒幕を暗示させてこの映画は幕を閉じます。

なんだか言葉足らずのまま、『悪い奴ほどよく眠る』が終わるために、お世辞にもカタルシスは求めがたい。当時の観客も、さだめし「隔靴掻痒」の感を禁じ得なかったでしょう。娯楽映画に期待される価値は、スカッと溜飲を下げることに尽きるのだから。

しかし黒澤明はこの作品に限っては、それを潔しとしませんでした。おそらく、汚職、疑獄を扱った映画で、スカッと溜飲を下げさせたら、意味がないと考えたのかもしれません。

西の復讐が果たされるハッピーエンドならば、この物語は娯楽としては成功しても、メッセージ性は何も残らない。そこで、消化不良のスッキリしない感覚を、 “置き土産”として観客のからだに残すのが、黒澤のたくらみだったのではないでしょうか。

昭和電工事件、造船疑獄、 ダグラス・グラマン事件など、戦後の疑獄事件はなんだか「スッキリしない」。スッキリせぬまま、日々の生活にかまけていくうちに無関心になっていく ━━ それが民草の習い性になれば、日本の未来に大きな禍根を残すことになる。

黒澤明が観客に用意した “置き土産” が、「スッキリしない消化不良感」や「隔靴掻痒の感」だったとしても驚くには値しません。それはきっと観客の自覚と覚醒をうながす “置き土産” になるだろうから。

そう考えると、なんだかスッキリしない後味や、「隔靴掻痒」の感にも上質で厳かな味わいがある ━━ そう感じるのは僕だけかもしれませんが。

『悪い奴ほどよく眠る』出演者についてのレビュー

三船敏郎(西幸一)

無骨な風体の素浪人や、やんちゃな野伏(のぶせり)、あるいは謹厳にして実直な軍服姿が映える名優だけに、現代劇におけるスーツ姿はそぐわない ━━
そう思っていたけど、なかなかどうして、『悪い奴ほどよく眠る』の主人公を演じる三船敏郎はサマになっています。

『七人の侍』の頃に比べたら、肉付きもよくなり、貫禄も十分。
役者としてもあぶらの乗り切った頃でしょう。
酸味も辛味もとことん知り尽くした男の演技。
サイドとバックを刈り込んで、七三オールバックにした精悍さは、モノクロ映像によく映えます。

硬質さが主張しすぎるきらいがあるとはいえ、憤怒と諦観には掬すべき味わいがあり、この人が若い頃、無分別に発散させていた直情径行の気負いのようなものは毛筋ほどもうかがえない。

ポーカーフェイスにも “表情” をつける工夫や、品位を落とさない立ち居振る舞いには見るべきものがあります。
深い哀惜や、運命の皮肉がもたらす機微を表現する演技には、思わず腕組みして感心してしまう。
もともと芸達者なこの人は、この頃、まっすぐ着実に円熟に向かっていたのでしょう。

森雅之(岩淵)

女優として気力充実の時期の作品。
悪い奴らの黒幕、「日本未利用土地開発公団」副総裁を貫禄ある演技で見せてくれる。

「これ絶対悪いやつ」をここまで陰影豊かに演じられてはぐうの音もでません。

この狡猾さ、目に痛いほどの俗物性には、へえつくばってしまう。
映画の後半、無垢な娘・佳子をだまして西のアジトを聞き出すシーンは、クゥーと五臓六腑にしみわたる。

あの面構えはどうだろう。
たっぷり甘酒をのませても、渋面をつき崩すことはできやしない。
声もじつにいい。
胸を締め付けるほどの陋劣な音声(おんじょう)です。

ときおり見せる、よどみやもたつきの「余白」は、計算され尽くしたように緊迫を生み出しています。
変な言い方だけど、ムダのない「余白」の機微をこのベテラン俳優はつかんでいるようです。

この人が体現した重厚で深い「闇」には、軽蔑を許さない何かが含まれている。
悲憤慷慨しても、不思議と唾棄すべき対象にはならない。
なぜだろう?

骨の髄まで悪にそまった岩渕という人物には、毒気とともにしっかりダシがきいています。
白ご飯だけで十分美味しい、「悪の味覚」です。

香川京子(岩淵の娘・佳子)

デリケートで艶のある箱入り娘は、悪人の長女にしてはあまりに無垢。
目に痛いほどピュアです。

佳子は裕福な家庭に育ったものの、幼少の頃の足の怪我によって松葉杖を欠かせない生活を強いられています。
結婚後、自分を愛してくれない夫に、不平のひとつこぼさず、一人堪え忍ぶ姿はこちらが身悶えするほどいじらしく、そっと甘酒をのませて慰めてあげたくなる。

屈託はやや薄味だが、まっすぐ生真面目ななかにも、ユーモアや不条理も受け容れ包みこむ雅量を感じさせる女優です。
チャーミングだが潔い。
柔和だけれども、一歩も退かないガッツもある。

この頃の香川京子さんには役者としてのマチュア(mature)を峻拒する、一徹のかわいさ、優美さをそなえています。
なんでもかんでも熟成すればいいというものではない。
「可憐さを残したたまま役者の幅を広げる」、そんなマチュアのかたちがあってもいい。

志村喬(守山)

この役者の卓越性は、どんな役柄を演じても「志村喬」であり続けるところにある。

余命いくばくもない市役所職員でも、情に厚い侍大将でも、私腹を肥やす卑小な管理部長でも、葛飾柴又フーテンの妹さくらの旦那・博の父でも、「志村喬」その人を崩さない。
おそらく、甘酒をたらふく飲ませても、この人は「志村喬」を貫き通すでしょう。

芸域という表現では語り尽くせない芸風をもつ人です。

後半、西らに監禁された守山は、兵糧攻めの憂き目に遭います。
空腹にたえかねて口を割った守山の前に差し出されたハムエッグは1500万円相当。
むさぼり食う守山の姿は、神々しくて、生身の人間の臭味が強い。
“にんげんのしんじつ” を見る思いがしました。

西村晃(白井)

西によって追い詰められて、精神が崩壊していく男の姿を凄まじい演技で見せてくれます。
最初にこの映画を観た子どもの時分、この人の印象があまりにも強烈でした。
人間という生きものの凄み。
それが遠慮会釈なく、肌身に食い込んでくるのです。

黒澤明が傾倒したロシア文学的な役者といってもいいかもれません。
他の俳優ならわざとらしく大仰になる感情表現、西村晃が演ったら、きわめてナチュラルに感情を流露させるといった芸風。

演技力だけではありません。
この人のビジュアルは白黒にうまく溶け込み、ダイナミックな陰影を生ぜしめる。
ままならぬ三千世界に生きる人間の悲哀をみる思いです。

テレビドラマで演じた水戸光圀も捨て難い魅力があるけれど、「悪い奴」を演じる西村晃には一見の価値があります。

加藤武(板倉)

主人公西幸一の親友、板倉を猛々しく感情表現豊かに演じています。

『悪い奴ほどよく眠る』撮影当時、加藤武は黒澤明にさんざん絞られたそうです。
何回演っても「ダメ、ダメ、ダメ」と。
しかし、後年のインタビューで、「板倉を演じたことで、黒澤明が自分を世の中に出してくれた」と述べています。

たしかに若かりし加藤武は、ときおり力が入りすぎているように見えます。
とくにこの作品では気負いが先に立っている。

でも、この役者のもつ人間的なコクには、スパイスと小味がきいていてついみとれてしまう。
役者に必要とされる演技力以前の「人間的魅力」がこの人には旺盛なのです。

映画のラスト、悲劇に直面して慟哭し、やり場のない憤怒で悪を糾弾する板倉は鬼気迫るものがある。
ひとつ間違えば “くさめ” になる演技を紙一重でおさえながら、クレバーでみずみずしい青年客気をみせてくれます。

三橋達也(岩淵辰夫)

岩淵の長男。
やんちゃな青二才、向こう見ずな風来坊の辰夫は、この役者にとってはまり役かもしれません。
『天国と地獄』(1963年) の秘書役より、こちらの風来坊が三橋達也の持ち味を生かしているように思います。

まっすぐ叙情的で、慣習にとらわれないのびやかな演技。
それでいて、しんと心に残る演技といえばいいでしょうか。

甘酒かっくらって、ギターをかき鳴らし、自棄を起こしてスーパーカブを乗りまわすようなイメージがある。(『悪い奴ほどよく眠る』にはそういうシーンはない)
妹をなおざりにする西に「叩き殺してやる!」と吐き捨てる三橋達也の存在感はスペキュタクラーと申し上げてもいい。

ときおり見せる、知的な憂いにも格別な味わいがあって、グッとくる。

ひとりの人間の中に在る「善・悪・強・弱」~『悪い奴ほどよく眠る』コラム

『悪い奴ほどよく眠る』の中で印象的なシーンがある。

邸宅の庭で家族と一緒にバーベキューを楽しむ岩渕。
娘のために肉を焼いている姿はいかにも好々爺だ。
どこからみても家庭人であり善人である。
汚職の中心人物であり、5年前、西の父を自殺に追い込んだ悪人とは思えない。

映画の後半、西の秘密を知った佳子は、西に訊ねる。

ねえ、お父さんはそんなに悪い人なの?

あたしにはとってもいいお父さんなのに……

佳子には、父親が悪人である事実がにわかに信じがたい。

ひとりの人間のなかに【善人】と【悪人】は共存できるのだろうか。
善悪まだらなのが人間の実相といえるだろう。

歴史が教えるのは、人間は「性善説」「性悪説」どちらか一方ではなく、立場や文脈、関係性によって変わる生きものだということ。

たとえば11世紀末から始まる十字軍。
「十字軍」という言葉から、誇り高きキリスト教徒たちによる聖戦というイメージがあるが、これは一面的な見方といえるだろう。なぜなら、イスラム側から見れば、侵略蛮行以外のなにものでもないからだ。
神の美名のもとに聖戦を正当化しても、十字軍の存在は「善」とは言えない。

大航海時代のコロンブスによるコロンブスの「新大陸発見」もそう。
発見といえば褒められるべき偉業に思えるが、「新大陸」にすでに住む人々にとって「発見」とは心外だろう。
先住の人々にとって、「発見」ではなく「侵略」だからだ。

ことほどさように、善悪は、立場や文脈、関係性によって変わる。
ならば一人の人間を、善人か悪人か截然と分けることはできない。

それでもあえて決めつけるなら、すべての人間は「弱人」と言えるのではあるまいか。

『悪い奴ほどよく眠る』の登場人物たちは、一様に弱い人たちばかりだ。

巌窟王のごとき西幸一も、人間的弱さを抱えた人間である。
佳子への愛情が芽生えたことで弱さと隙が生じ、そこから綿密に練られた計画が綻んでいく。

岩渕も守山も白井も弱い。
弱いから汚職に手を染める。
そして、岩渕の背後にいる黒幕もまた弱い人間である。

そう考えるとタイトルが「弱い奴ほどよく眠る」でもあながち間違いではない。
もっともこれでは、人々への訴求力や喚起力に乏しく、ちっとも観たいとも思えないが。

では、人間はそもそも強くはなれないのだろうか。

人間は「善人」にも「悪人」にもなり、「弱人」である ━━ そんな身もフタもない認識に立つことで、健全な “強かさ” (したたかさ)が開発されるのではないだろうか。
認識と自覚が、「強さ」を明瞭にし、発現させていく。

ただし、、、
「強い奴ほどよく眠る」・・・これではタイトルとして、ちと弱すぎる。

さいごに~『悪い奴ほどよく眠る』の動画を配信しているサービスは?

『悪い奴ほどよく眠る』が見れるのは……
  • U-NEXT
  • Amazonプライム・ビデオ
  • You Tube
  • Apple TV

『悪い奴ほどよく眠る』は以下にあてはまる方におすすめです。

  • 重厚なサスペンスが好きな方
    汚職と復讐劇の絡み合いはこってり重厚。緊迫感をはらんだるストーリー展開や見応えたっぷり。主人公が汚職の真相を解明し、父の仇を討つのか、あるいは、西の素性が黒幕にばれて窮地に立たされるか……上質なサスペンスを楽しめます。
  • 1950年代の社会問題に関心がある人
    疑獄なテーマに切り込んだ本作は、戦後の権力の腐敗や癒着を厳しいまなざしでみつめた黒澤明の反骨精神が横溢しています。当時の世相に関心のある方には興味深い作品です。
  • 人間ドラマが好きな方
    単純明快な勧善懲悪ものに満足できない方に、黒澤作品はおすすめです。モノクロによる陰影は、ドラマの世界観を立体的にして、張り詰めた緊張感をいやがうえにも高めます。文学に精通した黒澤明ならではの人間描写も秀逸。登場人物たちの葛藤や逡巡、屈託の描出には見るべきものがあります。

この機会に、巨匠の社会派サスペンスをご堪能ください。
現代日本の「小粒な悪」と対比してみるのも一興でございますよ。

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