ティファニーで朝食を(1961年)
主演:オードリー・ヘプバーン
第34回アカデミー賞作曲賞受賞(ヘンリー・マンシーニ)。この映画によってその名を世界中に轟かせたのがニューヨークの宝石店「ティファニー」。どこか艶のある1960年代ニューヨークの表情も一見の価値あり。名曲『ムーン・リバー』と都会的で洒脱な映像美が余韻を残す『ティファニーで朝食を』の魅力を紹介。
- 都会的で洗練されたラブロマンスが好きな方
- そろそろ独身を卒業して身を固めたいとお考えの女性
- 周りになんと言われようと自由なライフスタイルを貫きたい女性
- きらびやかな社交・ファッションに憧れを抱いている方
『ティファニーで朝食を』動画配信視聴しての感想
女性じゃなくても心をそそる印象的な朝食シーン
あまりにも有名なオープニングは一度見たら忘れがたい。
新しい1日が始まろうとしている朝のニューヨーク五番街。優美なジバンシィのドレスに身を包んだホリーが、宝石店ティファニーのショーウィンドウを眺めながら、右手にデニッシュ、左手にコーヒーを持って、ひとりささやかな朝食を楽しんでいる。
なにしろオードリー・ヘプバーンは押しも押されもせぬ当時のファッションリーダー。このシーンだけでもどれだけの数の女性が胸をときめかせたことだろう。 女性ではない僕でさえ心がそそられるのだから。
そんな『ティファニーで朝食を』は、束縛のない華美な生活を謳歌する女性を賛美するだけの物語ではない。「自由気まま」が身上のホリーの生活にもやがて手詰まり感が漂うことになる……。
「そろそろ身を固めようかな」とお考えの人も、「ずっと気楽な独身を楽しみたい」とお考えの人も、自分の生き方を見つめ直す機会を与える作品だと思う。
『ムーン・リバー』とトルーマン・カポーティ
この作品に独特のムードを与えているのは、ヘンリー・マンシーニの『ムーン・リバー』だ。いい知れぬロマンティックな余情をたたえている。
劇中、オードリー・ヘプバーンがギターを爪弾きながら『ムーン・リバー』を歌うシーンも美しい。遠い目をした儚げな表情で、艶やかなメランコリーに彩られている彼女にしばし釘付けになってしまう。 自分の来し方行く末に思いを馳せ、胸に去来するあらゆる感情をひとつひとつ掬いあげながら心ゆくまで味わい尽くしているかのような風情だ。抒情たっぷりに歌うことには、そんな効果効能があるのかもしれない。
そしてこの作品の原作者は、トルーマン・カポーティ。
彼が映画の出来に難色を示したことは有名な話である。カポーティは、当初マリリン・モンローを意識してこの小説を書いたにもかかわらず、監督ブレイク・エドワーズがオードリーを抜てき。原作者は怒り心頭だったとか。僕は原作を読んでいないけれども、ここまで名画として名を馳せるようになったのなら、オードリー・ヘプバーン主演で良かったんじゃないかと。
どうせならもっと、ヒロインには壊れてほしかった……
ヒロイン・ホリーは、コールガールとしては、いささか不自然なところもなくはない。惜しむらくは、人間の描き方が足りないため、陰影や起伏が織りなす色気がいまひとつ伝わってこないのだ。
もっとアンビバレントな感情のせめぎあいを大胆に表現すると、ホリーの人格的多彩さが輝いて、青薔薇のようなほのかな愁いを含んだ麗しさが水際立っていたかもしれない。もう一歩踏み込んでホリーの葛藤を活写してほしかった。もう三歩深く踏み込んでホリーには壊れてほしかった……という思いが残っている。ずいぶん勝手な感想ではあるけれど。
それでも、『ティファニーで朝食を』全体に横溢する美意識に打ちのめされてしまうと、「これはこれでひとつの達成のありかたなんだ」と得心がゆく。せつなく胸を踊らせるロマンスであることは間違いない。
『ティファニーで朝食を』のキャストについて
ホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘプバーン)
古典的格調の高さと言えばいいのだろうか。
時代を経ても色褪せない洗練されたスタイルを持っている女優である。
彼女と同時期に活躍したのが、マリリン・モンローだ。彼女のはちきれんばかりのコケティッシュさとはまるで対照的だが、大衆はオードリーの可憐さも熱烈に歓迎した。少女のような華奢なからだと、透明感のある明眸、生活を感じさせない容色。ひとつの時代をつくったビューティアイコンとして間然するところがない。
『ローマの休日』のアン王女のキュートさにはすっかり参ってしまうけど、融通無碍だけど無垢で傷つきやすいホリー・ゴライトリーの可愛らしさも格別だ。どちらも甲乙つけがたく魅了されて打ちのめされる。
ジョージ・ペパード
個人的に好きな俳優だけに出演作が少ないのが残念。
『特攻野郎Aチーム』に出演しているが、もっと銀幕で活躍しているジョージ・ペパードの勇姿を見たかった。
ポールという役柄は、キャラクターの色づけがはっきりしていないわりにはなぜか印象に残っている。マイルドな存在感といえばいいだろうか。主役のホリーを引き立てるために常に一歩身を引いているとはいえ、その身のこなしはどこまでもエレガント。ウィットやジェントルなやさしさの持ち合わせも十分だ。
パトロンとの愛人関係はなんとなく中途半端で、まだまだ男として成熟に達していないポールだが、そのハンパなところ、腰の据わらなさがなぜか嫌いになれない。なぜだろう? でも物語の最後でこの人は、しっかり ”男気” を見せてくれる。
『ティファニーで朝食を』作品情報
監督 | ブレイク・エドワーズ |
脚本 | ジョージ・アクセルロッド |
撮影 | フランツ・プラナー |
音楽 | ヘンリー・マンシーニ『ムーン・リバー』 |
原作 | トルーマン・カポーティ |
出演 | ・ホリー・ゴライトリー・・・オードリー・ヘプバーン ・ポール・・・ジョージ・ペパード ・ユニヨシ・・・ミッキー・ルーニー ・2E・・・パトリシア・ニール |
ジャンル | ラブロマンス |
上映時間 | 114分 |
ストーリー
ホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘプバーン)は自由気まま・華麗に生きることが身上のコールガール。あらゆる男たちと関係を持って生計を立てている。そんなホリーの住むアパートにポール・バージャク(ジョージ・ペパード)という駆け出し作家の青年が引っ越してくる。彼にはパトロンが存在するが、奔放なホリーに心を奪われていく……
人間誰もが、「幸福という檻」に縛られずにはいられない~『ティファニーで朝食を』コラム
自由気まま、天真らんまんが身上のヒロイン・ホリーですが、その裏には満たされない心を抱えています。自然体に見せているようでいて、見せかけの華美さの中でしか生きられない不自然な自分を持て余しているようです。
物語のクライマックス。ポールの言葉によってホリーはハッと気づくのです。自由気ままに生きることの代償があまりにも重いことを。「女と男、自由に漂う筏の小舟」のような関係は、一見気楽そうで、その実、虚しいものなのかもしれません。ときに虚しさというのは、人間をとことんまでスポイルする怖さがあります。
勘違いしないでいただきたいのですが、シングルで気ままに生きる人を否定しているのではありません。自由気ままな生活を楽しむための「代償」を自覚したうえで、独り身を楽しむのもひとつの見識のある生き方です。
でももしかしたら、誰かと一緒にお互い縛り合って生きるのは、案外、ほっと人心地がつくものかもしれませんよ。少なくともその可能性を頭の片隅におさえておくだけでも、生き方にゆとりが生まれるのではないでしょうか。
『ティファニーで朝食を』から、僕が勝手に受け取ったメッセージは以下のとおり。
「自由気ままもいいけど、愛する人との「縛り縛られる豊かな幸せ」というのも格別かもよ」
程度の差こそあれ、人間誰もが、「幸福という『檻』に縛られずにいられないマゾヒスト」と言ってしまうのは乱暴でしょうか?
※ただし時期によっては『ティファニーで朝食を』の配信およびレンタル期間が終了している可能性があります。