『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)
主演:パトリック・スウェイジ/デミ・ムーア/ウーピー・ゴールドバーグ
第63回(1991年)アカデミー賞 助演女優賞(ウーピー・ゴールドバーグ)脚本賞(ブルース・ジョエル・ルービン)受賞。 古典的ともいえる幽霊モノをニューヨークを舞台にした都会的なアレンジをくわえたスタイリッシュなラブストーリー。印象的なシーンとテーマ曲も忘れがたいこの映画の魅力を紹介。
- 甘美なラブストーリーに没頭したい方
- 大切なパートナーとの関係を深めたい方
- バブル景気の頃の思い出に浸りたい方
『ゴースト/ニューヨークの幻』動画配信を見ての感想
侮りがたいラブファンタジーの名作
子どものときに見てほとんど印象に残らなかったのに、大人になって見ると「いい映画だなぁ…」と思える作品はたくさんある。『ゴースト/ニューヨークの幻』もそのひとつ。娯楽作品としてのクオリティは文句なしに高く、演出にもキレが感じられる。
もちろん細部を見ていけばツッコミどころもないではない。この映画が提示する「死後の世界」はあまりに単純明快にすぎるし、主人公サムがゴーストになってしまうのはあまりに唐突にすぎる。もう少し説明があってもいいのにと思う。それでも、その説明不足がかえって物語をたくましくしているのかもしれない。理屈を越えてストーリーに惹き込まれるからだ。
「生」と「死」、そして「恋愛」……やはり王道の話型だけあって安定感がある。古典的な題材を、現代風に洗練されたファンタジーとして昇華させたジェリー・ザッカー監督の手腕は見事なものである。ファンタジーとはいえ侮りがたい大人の恋愛映画であり、いつリメイクされても不思議ではないほど、揺るぎ難い名作であることに間違いはない。
くすぐったいけれど、魅せられる ”陶芸シーン”
映画は映像メディアである以上、印象的なシーンが文脈から切り離されて、ひとり歩きする宿命を背負っている。『ゴースト/ニューヨークの幻』もその例に漏れない。やはりあの陶芸の粘土を回すシーンがひとり歩きしている感がある。
ろくろを回すモリーの背後からサムが近づいていく。土をすべらせながら、お互いの指と指が緊密に重なる。デミ・ムーアのなまめかしさがひときわ輝く場面だ。
バックに流れるのが、ライチャス・ブラザーズ『アンチェインド・メロディ』。この甘美な曲が、『ゴースト/ニューヨークの幻』の幻想性に豊かな隈取りを与えている。音楽と映像がぴったりハマりすぎていて、いささかくすぐったいけれど、けっして嫌いにはなれない。 気恥ずかしいけど魅せられるのだ。
陶芸を選んだところがなんとも心憎い。ジェリー・ザッカー監督の卓越したセンスが感じられる。陶芸というのは作る前にさしたる明瞭なかたちが見えなくても、実際に手を動かしながら、創意を手繰り寄せる芸術だ。これは映画製作にも当てはまるかもしれない。
『ゴースト/ニューヨークの幻』の完成度の高さは、綿密な設計図によるものというより、創りながらアイデアや洞察を呼び寄せて仕上げた「即興の勢い」によるところが大きいのではないだろうか。
『ゴースト/ニューヨークの幻』のキャストについて
サム(パトリック・スウェイジ)
優れたバランス感覚と心根のこもった演技ができなければ、この映画の主役を務めることは難しいだろう。パトリック・スウェイジは、この難役をそつなくこなしているように見える。打つべきポイントで過たず布石を打ち、張るべき場所で抜かりなく伏線を張り、要所要所で的確にくさびを打ち込むような演技だ。
この人の演技によって、物語はなかだるみすることなく、ラストまで心地よい緊張感をもって疾走する。突出した何かを感じさせるという俳優ではないかもしれない。けれどもまさにその素朴さが、この人の類まれな持ち味なのかもしれない。「スター性のある素朴さ」というものが確かに存在するからだ。
北欧系の顔立ちという要素も深く与っているだろうが、モリーをみつめるまなざしがなんとも優しくてあたたかい。後味さっぱりだけど、確かな印象を刻みつける達者な役者だ。
モリー(デミ・ムーア)
1990年当時、デミ・ムーアのボーイッシュなヘアスタイルは個人的には衝撃的だった。少年ぽいのにドキッとするような大人の色香にむせかえりそうになる。柳眉を逆立てる様子にも官能のそよぎを感じさせる。「こういう女性っているんだなあ」と鼻息を漏らしながら感心したものだ。
この人の品位のなかに見え隠れする、やんちゃさというか崩れた感じが、妖しくてミステリアスな魅力を発散している。実際のデミ・ムーアはどんな女性かはわからないけれども、「場合によってはレディーとしての慎み深さは後回しよ!」と言わんばかりの危うい雰囲気をもっているところが、この人の突き抜けた美しさに結実しているように思う。お行儀のよい優等生の演技というものがあるとしても、デミ・ムーアにはそぐわない。
この人の演技は、巧拙という基準で推し量ることは難しい。少なくとも、『ゴースト/ニューヨークの幻』におけるヒロインの演技には、巧まざる ” 揺曳 ” があり、潤沢でみずみずしい ” 混沌 ” がある。本人がそれを望むなら際限なく自分を壊していけるタイプの役者だ。パトリック・スウェイジとは対照的に、この人は「理」ではなく「情」だけで、最後までヒロインを演じているように見えなくもない。演技力以前で勝負しているような。
ときに感傷に流されて女性の弱さをみせるが、けっして自分を崩さない。なんぴとたりとも自分の華を手折らせない。大げさな技巧を排した、しっとりとしたデミ・ムーアの演技に、見る者は甘美な心のうずきを覚えるだろう。
オダ・メイ(ウーピー・ゴールドバーグ)
『ゴースト/ニューヨークの幻』を名作たらしめている名脇役として、主役ふたりを食うほどの存在感が光っている。ウーピー・ゴールドバーグ演じる霊媒師オダ・メイは、インチキ霊媒で生計を立てているが、なぜかゴーストになったサムの声だけを聞き取ってしまう。そこに上質なユーモアを感じさせる。
監督ジェリー・ザッカーがコメディ畑の人だからこそ、この女優のポテンシャンルを最大限引き出したのであろうか。ウーピー・ゴールドバーグが、コメディエンヌとしてこの映画の「笑い」を部分をしっかり引き受けていることで、物語を美味しくする絶妙なスパイスになっている。
この作品に限ったことではないけれど、上質なラブストーリーの懐の深さは、「笑い」の要素に負うところが大きい。そしてこの作品に限って言わせてもらえれば、ウーピー・ゴールドバーグの存在なしに『ゴースト/ニューヨークの幻』は成り立たない。
『ゴースト/ニューヨークの幻』作品情報
監督 | ジェリー・ザッカー |
脚本 | ブルース・ジョエル・ルービン |
撮影 | アダム・グリーンバーグ |
音楽 | ・モーリス・ジャール ・【テーマ曲】ライチャス・ブラザーズ『アンチェインド・メロディ』 |
出演 | ・パトリック・スウェイジ ・モリー・・・デミ・ムーア ・オダ・メイ・・・ウーピー・ゴールドバーグ ・カール・・・トニー・ゴールドウィン |
上映時間 | 127分 |
ジャンル | 恋愛/ファンタジー |
ストーリー
舞台はニューヨーク。金融業界で働くサム(パトリック・スウェイジ)と恋人モリー(デミ・ムーア)は改装したアパートで暮らし始める。ある日の夜、デートの帰りに暴漢に襲われ、サムは命を落としてしまう。ゴーストとなったサムは、自分を襲った黒幕の正体をつきとめ、モリーの身も危険にさらされていることを知る。ゴーストとしてなすすべもないサムは、自分の声を聞きとれるインチキ霊媒師オダ・メイ(ウーピー・ゴールドバーグ)の協力をあおぐ。
【コラム】” 喪失の予感 ” をたぐりよせる━━ 恋愛映画の実用的な効果
「生」と「死」と「恋愛」をテーマにした映画作品は、物語の定番、王道の話型であるということを先に述べました。まさに人間であるかぎり誰もが逃れられない普遍的なテーマ。それゆえ、「ああ見て楽しかった!」で終わる娯楽映画ではなく、実際的な効果があると考えています。
それは、「大切なパートナーとの絆を深める」という効果です。
(あるいは家族や友人との絆にも当てはまるでしょう)
どんなに仲睦まじいカップルでも、生涯を添い遂げる約束を誓いあった夫婦でも、人間であるかぎり死がふたりを分かつのは避けられません。喪失があるからこそ、豊かな情愛が生まれる━━ 当たり前すぎて忘れがちなこの真理を思い出すためにも、大切な人と恋愛映画を見るのは大きな意義があるように思います。
現在、パートナーに不満があるなら、時間をとって一緒に『ゴースト/ニューヨークの幻』を見るのはいかがでしょう? 映画の世界にどっぷり浸りつつ、「いつか別離が来るんだ」という ” 喪失の予感 ” をたぐりよせてみる。そうすればパートナーに対して多少の欠点には目をつぶることができるかもしれません。
ふだん考えていない「死」を想うことで、パートナーへの愛しさや、感謝の気持ちがこみあげてくるのではないでしょうか。 ” 喪失の予感 ” が呼び水となって、あたたかくやさしい心持ちで恋愛や結婚生活を見直すこともできるでしょう。
ことほど左様に、恋愛映画は、忘れがちな ” 喪失の予感 ” をたぐりよせるきっかけを与えてくれるという意味で、きわめて実用的な娯楽だと思います。
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