緋牡丹博徒(1968年)
主演:藤 純子/高倉 健
「見せぬ刺青、緋牡丹をそれほど見たいか。見せてもいいが、見たらお命いただきますよ」東映任侠映画全盛期の大スター、藤純子が義理と人情のしがらみに生きる「緋牡丹のお竜」を熱演したシリーズの第1作。滴るような美しさ、輝くような凛(りん)としたスタイル。今の時代だからこそ『緋牡丹博徒』には見るべきものがある、その理由とは?

この映画、こんなあなたにおすすめです!
- 潔く生きたいけど、自信が持てない女性
- きりっと姿勢のよい「任侠もの」が好きな人
- シンプルな勧善懲悪もののストーリーが好きな人
- 昭和のクールビューティーに目がない人
- 「粋」(いき)や「いなせ」という日本の美意識について興味のある人
【注意!】
この映画の冒頭で、イカサマを見破られた博徒が、ケジメとして「指詰め」するシーンがあります。もし苦手なら視聴をお控えになったほうが無難です。これ以外にも「任侠もの」には欠かせない ”切った張った” のシーンがありますが、さして不快な印象はありません。もちろん感じ方には個人差がありますが。
『緋牡丹博徒』作品情報
監督 | 山下耕作 |
脚本 | 鈴木則文 |
撮影 | 古谷伸 |
音楽 | 渡辺岳夫 |
出演 | ・緋牡丹のお竜・・・藤純子(富司純子) ・片桐直治・・・高倉健 ・熊坂寅吉・・・若山富三郎 ・不死身の富士松・・・待田京介 ・加倉井剛蔵・・・大木実 ・フグ新・・・山本麟一 ・お神楽のおたか・・・清川虹子 |
ジャンル | アクション/任侠 |
ストーリー
緋牡丹の刺青をいれた女博徒、緋牡丹のお竜(藤純子)が女だてらに仁義をまっとうする姿を描くシリーズ全8作品。舞台は明治中頃の熊本。博徒・矢野仙蔵が辻斬りに遭い絶命する。仙蔵のひとり娘・竜子は堅気の男性との縁談を取り消され、矢野一家はあえなく離散。竜子は憎き父の仇を討つために「緋牡丹のお竜」として賭場を流れ歩く。
『緋牡丹博徒』感想
冒頭からものすごく引きずり込まれた
「いまどき、古くさい任侠ものなんて……」とお考えの方も多いかもしれません。何を隠そう僕も「今さら感」を拭いきれませんでした。
ところが映画を見始めてびっくり。冒頭の口上シーンからグイグイひきずりこまれてしまったのです。ヒロインの気っ風のよさと清潔な色香にすっかり魅了されてしまい、気がつけばあっという間の1時間40分。
啖呵の切り方になんとも言えない艶があって、「しとやかな侠骨……雅やかなクールビューティー…」という言葉がほわっと頭によぎりました。
ラストの後味も良くて、「緋牡丹のお竜」のあでやかな存在感と躍動感が鮮烈な印象としていつまでも残っています。
ストーリー以上にヒロインの立ち居振る舞いで魅せる映画
『緋牡丹博徒』のストーリー自体はきわめてシンプル。難しいことは抜きにして、リラックスして楽しめる娯楽作品です。といっても、ただの任侠娯楽作品なら『緋牡丹博徒』は一頭地を抜く名作にはなっていなかったでしょう。
思うにこの映画はストーリーのおもしろさ以上に、覚悟を決めた女性の凛としたたたずまいで見せる作品ではないかと。なにしろ「緋牡丹のお竜」の姿を見るだけで、おなかいっぱい堪能できます。
ヒロインの品位と折り目正しさが、ときとして予定調和になりがちな任侠作品にあでやかな彩りと心地よい緊張感を与えているようです。
あるいは、ご都合主義の展開や、現実離れした登場人物の造形に対して、「リアリティに欠ける」といった辛口評価があるかもしれません。しかし、リアリティの追求だけが映画の真骨頂ではないでしょう。
むしろリアリティを大きく踏み外さなければ伝えられないものごともある。娘ざかりを渡世にかけた「緋牡丹のお竜」の潔い端正な生き方が、見るものの胸に迫ってきて襟を正させるのです。
ただ強いだけのヒロインではない
歯切れのよい啖呵や男勝りの殺陣が、作品としての娯楽性を高めていることは間違いありません。けれども「緋牡丹のお竜」がただ強いだけの女侠客でないところに、『緋牡丹博徒』のユニーク性があり、数多ある「女侠客もの」と大きく水をあけているゆえんだと思います。
切った張ったの世界を生きるお竜がときおり見せるハッとするような「女」の部分━━それが「緋牡丹のお竜」を立体的でカラフルなキャラクターにしている、と考えてはいけないでしょうか。
銀幕に咲く大輪の牡丹の花のような『緋牡丹博徒』、今の時代だからこそ見るべきものがあると。
このシーンが最高でした……
『緋牡丹博徒』で好きなシーンは、お竜の子分、フグ新(山本麟一)のいざこざが原因で起こった侠客同士の喧嘩を手打ちにするために、お竜がひとり、岩津一家に乗り込むくだりです。
持参したピストルを岩津に渡して、手打ちが無理なら、この緋牡丹に撃ちなせえと、背中に彫られた鮮やかな緋牡丹を見せる。そこには無難なところに逃げない、凛とした風格の輝きがうかがえます。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の境地ですね。
『緋牡丹博徒』のキャストについて
緋牡丹のお竜・・・藤純子(富司純子)
藤純子さんはけっこういろんな女侠客を演じていますが、やはり「緋牡丹のお竜」がハマリ役だったようです。なにしろシリーズ8作です、並大抵のことではありません。言うまでもなく、高度成長期の只中にいた当時の日本人が、銀幕の中で活躍する藤純子さんの ”あで姿” を切に求めたからでしょう。
小股の切れ上がったスタイル、艶のある挙措、清雅の風格を感じさせる口上。どれをとっても「仕上がっている」。そこに付け足すものは何もありません。
「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹 歩く姿は百合の花」な佳人。けれどもその美しさは、男を眩惑するなまめかしさや官能性ではありません。すらりと姿勢のよい健康的で一途な色香がこの人の持ち味です。
時代は下って、『あ・うん』(1989年)で女優復帰してからの「富司純子さん」も実に素晴らしい。「緋牡丹のお竜」とはまた趣を異にする ”雅趣に富んだ気骨” がうかがえて、見る者の胸を小さくときめかせるのです。
片桐直治・・・高倉健
高倉健という俳優を、実にいろんな角度から、さまざまなアプローチで語れるのは、ひとえに、人物としての「底知れぬ懐が深さ」によるところが大きいです。健さんにはどんな賞賛の言葉も当てはまるようだけれど、よくよく吟味してみると、どの言葉もまるで見当違いなような気がする。健さんとはそういう人だと思います。
『緋牡丹博徒』では主役の「緋牡丹のお竜」を立てているとはいえ、圧倒的な存在感は格別です。実際に見たわけではありませんが、当時リアルタイムで『緋牡丹博徒』を見た観客は、スクリーンに向かって、「よっ!健さん!」と叫んだのではないでしょうか。
ただ、この映画の中で健さんが演じた片桐直治という侠客には、静かな淡い哀しみが漂っていて、日曜日の夕方にふと差し込む憂愁を彷彿させます。個人的にはあながち嫌いではありませんが。
その他、脇を固める豪華俳優陣
「その他、脇を固める豪華俳優陣」でまとめるのはまことに失礼かもしれません。。。
本当にこの映画のバイプレーヤーは名優揃いです。若山富三郎に清川虹子に金子信雄に若かりし山城新伍……ただただ圧倒されて、少し汗ばんでしまったほどです。
特筆に値するのは、大阪は堂満一家の女親分である清川虹子さん。彼女が画面に登場したとき、僕は激しく胸を衝かれてしまって、思わず動画の再生をとめて、ベランダに出て夜風に当たりながら平常心を取り戻す時間が必要でした。*1
清川虹子さんが登場するだけで、色あせた風景やセットがにわかに活気づくようです。重厚な存在感による説得力といいましょうか。「いちいち しゃらくさいこと言うなっ!」と睨みをきかせ、あらゆる有象無象をなぎ払うかのような凄まじい気迫がある。きょうび そんな女優さんってなかなかお目にかかれません。
女親分の息子役である山城新伍さんが、これまたコクのある演技を見せていて、僕は微苦笑を禁じえませんでした。
「小心さ」と「勇気」のせめぎあいが凛然としたスタイルをつくる
小細工なしでまっすぐ筋目を通す、「緋牡丹のお竜」の隙きのない凛々しさに、おおいに触発される人も少なくないでしょう。
ところで凛とした態度の人を見て、「あんなふうに自分に自信をもって生きたい」と思うことはありませんか? いつもきりっと堂々としている人を見ると、つい自分と比べて落ち込んでしまう人は多いのではないでしょうか。
でも凛とした人の実際のところはどうなんでしょうね。 いつもそんなに凛々しくすましていられるものなんでしょうか。彼らもまた人間です。小心さや人格的弱さをかかえて葛藤しているのではないでしょうか。
最初から、何の意識的な努力もせずに凛としている人なんてまずいません。 葛藤しながら自分の態度を決めかねて、やっとのことで決断して、その決断を実現させていくなかで、少しずつ凛然としたスタイルが確立されてゆく。そんな感じがします。
大切なのは内面の拮抗です。
凛とした態度のすぐ裏側には、小心と勇気がせめぎあうなかで刻まれた、豊かな屈託が潜んでいます。
考えてみてください。
そもそも小心さや弱さがない人には、「凛とする」という意味すらわからないのではないでしょうか。内面の拮抗がなければ、表面に表れる態度はただの「蛮勇」です。自分の行動を振り返ることもなければ、自分の未熟さや至らなさに気づく内省の大切さにも気づきにくい。 それは成熟する余地の少ない生き方のように思いませんか。
人間、そうやすやすと小心さや弱さを無くすことはできません。 といいますか、無くしちゃいけないものでしょう。なぜなら、小心、弱さといったネガティブな要素が誘発する「内的拮抗のダイナミズム」が、風格あるたたずまいを作るからです。
大輪の牡丹の花のような落ち着きと品格は、小心さを持つ人なら誰にでもそなわっている━━ 僕はそのことを確信して疑いません。
*1:いささか感じやすい性質なのかもしれませんね……