『ノッティングヒルの恋人』(1999年)
主演:ジュリア・ロバーツ/ヒュー・グラント
ジュリア・ロバーツ&ヒュー・グラントによる、ちょっぴりせつない「逆シンデレラ」ストーリー。英国情緒あふれるノッティングヒルを舞台に、ハリウッド女優と平凡な書店店主がふとしたきっかけで恋仲に。一見ありえないストーリーだけど見ているうちに不思議と心地よくひきこまれてゆく……見れば心がやさしくなれるこの映画の魅力をご紹介。
- やさしいテイストのラブロマンスがお好みな方
- 『ローマの休日』をそれなりに楽しめた方
- ナイーブな男性に共感できる方
- 「人は見た目」だと思う反面、そうでもない部分もあるかも…と感じる方
『ノッティングヒルの恋人』動画配信を視聴しての感想
テンポのよい「逆シンデレラストーリー」
ジュリア・ロバーツを有名にしたのが『プリティ・ウーマン』。現代版シンデレラストーリーの傑作である。一方この『ノッティングヒルの恋人』では立場が逆転。逆シンデレラといえばいいのだろうか。
ハリウッド女優がノッティングヒルの書店主と恋に落ちる━━ いかにも荒唐無稽になりがちなプロットを破綻なくきれいにまとめあげている。そこに才知を傾け、意を用いている監督と脚本家の手際のよさは特筆に値しよう。緻密さを求めても物語に「あそび」がなくなり、心地よいやさしいテンポを損ねることになりかねない。
ざっくりするところはとことんざっくり、踏み込むべきところはしっかり踏み込む━━ そのメリハリがしっかりきいているので、ストレスフリーでまったりとした123分を堪能できる。
名作『ローマの休日』にひとつの範をとる作品
お姫様と一般男性とのロマンスという意味で、『ノッティングヒルの恋人』は、名作『ローマの休日』を規範として仰いでいるのだろう。最後までご覧いただくとおわかりになるだろうが、なんと『ローマの休日』のパロディであることを隠してもいない。ここまで開けっ広げだと、作り手の遊び心に拍手喝采を送りたくなる。
とはいえ、枠組みこそ『ローマの休日』だけど、小ぶりのオリジナリティをしっかり打ち立てているところが好印象。理想的な換骨奪胎だ。甘味のあるロマンスだが、シロップ漬けのようなくどさはない。しっとり典雅な大人のロマンスに仕上がっている。
傷つきやすさに「華」を感じさせる男
『ノッティングヒルの恋人』を見終わったあと、心の重石がきれいに取り除かれたような余韻に浸れた。甘美な恋愛を見届けた満足感というより、人のやさしさ・温かさに触れて気持ちがすっかり満たされるのだ。やはりウィリアムのナイーブさが、この物語の「トーン&マナー」を基礎づけているように思う。
ではウィリアム・タッカーとはどんな男か?
- ワイルドな男らしさに欠けるが、相手を包み込むジェントルな雅量に不足はない。
- 自分はどんなに疲れようとも、相手に疲れを強いることはない。
- 自分はもろく傷つきやすいが、意図して相手を傷つけることはない。
・・・あっさり言えば、ウィリアムは「癒やす男」だ。そして、スマート傷つきやすさに「華」を感じさせる男である。
そんなウィリアムの友人・家族・同居人が全力で彼とアナとの恋愛を応援するところがなんとも微笑ましい。人の心をやさしくばらけさけて解きほぐすかのようだ。
『ノッティングヒルの恋人』のキャストについて
アナ(ジュリア・ロバーツ)
『プリティ・ウーマン』とはまた一味違う、身だしなみの整った演技。迷いひとつなくアナになりきっているようだ。ハリウッドの大女優という役柄だけに、柔和で穏健な表情のなかにも有無を言わせぬ芯の強さが感じられる。
このアナという人物は、大スターとはいえ、ずいぶん身勝手な女性ととられてもおかしくない。ナイーブなウィリアムを振り回すだけ振り回しているわけだから。だが別の角度から見れば、彼女は女優である前にひとりの女性として自分の気持ちに忠実に行動している。それゆえ混乱や騒動が持ち上がるわけだけれども。さいごまでご覧いただければ、彼女のまっすぐな潔さを好ましく感じていただけると思う。
ちなみに実物のジュリア・ロバーツは、この作品のあと、『エリン・ブロコビッチ』に出演して、アカデミー主演女優賞を獲得。名実・虚実ともにハリウッド大女優として揺るぎない地位を築いたことになる。
ウィリアム(ヒュー・グラント)
ナイーブで脆いところが男性としての魅力に結実しているタイプ━━ 演技力だけでは如何ともし難い、この「ウィリアム」という役柄を、ヒュー・グラントは自然体の演技でこなしている。
ウィリアムはけっして臆病というわけではない。書店で万引きをした男性に対するはからいも英国風でスマート。またレストランで、アナのゴシップをまくしたてる口さがない連中にも、ひるむことなく抗議してアナの尊厳を守ろうとする。傷つきやすさを抱えているとはいえ、ウィリアムは「いい男」なのだ。その「いい男」の露出バランスも、この俳優は適切にボリューム調整しているように見える。
ウィリアムはかつての妻はハリソン・フォード似と男と駆け落ちしたという。妻は己の「業」に抗えなかったのだろうか。経緯については詳しく語られていないが、人によっては ━━ 夫にもいくばくかの原因があるにせよ━━ 立ち直るのに相当な時間を要する傷になっても不思議はない。
だがウィリアムは屈折することなく、誠実に新しい恋に向き合っているように見える。その姿は、そよ風が吹き渡り木漏れ日が踊るイングリッシュガーデンのようにすがすがしい。彼のたたずまいには清新な息吹が感じられるほどだ。そりゃ誰だって応援したくなる。
それにつけても、この役がヒュー・グラントでよかったと思う。少なくともハリソン・フォードにはそぐわない。
(ハリソン・フォードはインディ・ジョーンズのような知的で屈強なヒーローがふさわしいと思います)
『ノッティングヒルの恋人』作品情報
監督 | ロジャー・ミッシェル |
脚本 | リチャード・カーティス |
撮影 | マイケル・コールター |
音楽 | ・トレバー・ジョーンズ ・【テーマ曲】エルビス・コステロ「She」 |
出演 | ・アナ・・・ジュリア・ロバーツ ・ウィリアム・・・ヒュー・グラント ・スパイク・・・リス・エバンス ・バーニー・・・ヒュー・ボネビル |
上映時間 | 123分 |
ジャンル | ラブコメディ |
ストーリー
ウィリアム・タッカー(ヒュー・グラント)はロンドン西部ノッティング・ヒルにある旅行専門書店の店主。ある日、イギリス滞在中のハリウッド女優アナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)が本を買うためにウィリアムの書店に訪れる。ウィリアムはあやまってアナの服をジュースで汚してしまうが、彼の飾らない誠実な人柄にアナは惹かれてしまう。ふたりは急接近するが、立場の違いからすれ違いが生じていく……
【コラム】たしかに「人は見た目」なのかもしれません……
「人は見た目が●割」という、身もふたもない言葉があります。
そうきっぱり決めつけられるのもなんだかなァ……と抗議したくなるものです。
でもよくよく考えてみると、「見た目」は男女関係だけでなくビジネスや社会生活でも軽視できない要素です。社会心理学の世界では「ハロー効果」という用語があるくらいで、人は往々にして、際立った「見た目」に引きづられて対象を過大評価してしまう。「人は見た目が●割」は、あながち偏見・僻見ではないのかもしれませんね。
とはいえ勘違いしないでほしいのですが、ここで言う「見た目」とは、単純な「顔の造作」や「身長」といった持って生まれた容姿に限ったことではないのです。
「見た目」全体に反映されるであろう、その人の資質や傾向性や生き方のスタイルに人は惹かれるのではないかと。たとえば、誠実さや思いやりとか謙虚さといった「人品骨柄 」が、「見た目」に優美な ” 輪郭 ” を与えるように思うのです。
『ノッティングヒルの恋人』のアナも、ウィリアムの外面からにじみでている誠実さに深く心を打たれたのではないでしょうか。ただの美男を求めるなら、映画業界にいれば事欠きませんよね。
あなたの周りにもいませんか?
穏やかでやさしい「人品骨柄」がそのまま表面にあらわれている人が。理知的な面立ちとか、思慮深さを感じさせる所作とか、品位に満ちた言葉づかいとか。そこにいるだけで周囲に安心感を抱かせて、心を弾ませるような存在です。
かたやどんなに顔の造作が美しくても、計算高くて抜け目のない性質がその容貌に表れていて、一緒にいると ” 気ぶっせい ” な人もいます。ハッとするほどキレイだけれど、なんだか居心地が悪かったり、座りの悪い気持ちにさせられる人がいる。
・・・つまり良きにつけ悪しきにつけ、その人の人物としての ” 正味 ” が「見た目」にあらわれるのです。そしてこれが肝心な点ですが、他者がゆえなく心惹かれるのは、その人の外面にあらわれている「顔の造作」よりも、外面にあわれている「人品骨柄」ではないかと。
考えてみてください。
好むと好まざるとにかかわらず、人間の容姿は齢を重ねていくうちに衰えてしまうものですよね。しかし、外面にあらわれる「人品骨柄」を怠りなく磨き続ければ、年を経るごとに、味わいや、艶めきや、輝きや、刻みの深さをもたらすでしょう。
人の心を揺さぶらずにはおかない ” ビジュアルを超えた美しさ ” は、自らデザインしていける━━ そう考えた方が、そう考えないよりかは、はるかに希望を持って生きていけるよなぁ……と個人的に思っています。
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