『サンダカン八番娼館 望郷』感想※絹代と小巻のハーモニー

サンダカン八番娼館 望郷

サンダカン八番娼館 望郷(1974年)

主演:田中絹代/栗原小巻/高橋洋子

第25回(1975年)ベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)獲得。明治・大正時代、貧しさのために東南アジアに出稼ぎして、春をひさいで生計を立てた女性たちの壮絶な半生を描いたノンフィクションの映画化。サキを演じた田中絹代の存在感は格別。映画史に燦然と輝く名演である。『サンダカン八番娼館 望郷』の感想・レビュー。

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目次

『サンダカン八番娼館 望郷』作品情報

監督熊井啓
脚本広沢栄/熊井啓
撮影金宇満司
音楽伊福部昭
出演・北川サキ(現在)・・・田中絹代
・三谷圭子・・・栗原小巻
・北川サキ(娘時代)・・・高橋洋子
・おキク・・・水の江瀧子
・太郎造・・・小沢栄太郎
・竹内秀夫・・・田中健
・イッちゃん(行商人)・・・山谷初男
上映時間121分
ジャンルヒューマンドラマ/ノンフィクション

あらすじ

女性史研究家、三谷圭子(栗原小巻)は熊本県天草を訪れた。
かつて「からゆきさん」と呼ばれ、明治期~大正時代にかけて東南アジアに出かけて、外国人たちに若い肉体を鬻(ひさ)いだ女性の体験談を聞き出すためである。
しかし女性たちから証言を聞き出すのは困難をきわめていた。

そんななか、圭子は偶然、北川サキ(田中絹代)という年配の女性に出会う。
サキが「からゆきさん」であることを確信した圭子は、サキの質素な侘住いにしばらく住み込む。

やがて圭子に心を許したサキはおもむろに重い口を開いて、若い頃、外国に ”出稼ぎ” に行った話を始めるのだった……

『サンダカン八番娼館 望郷』のみどころ・感想・レビュー

『サンダカン八番娼館 望郷』感想・レビュー

冷徹に正視すべき歴史がここに描かれている

平和で豊かな時代には、過去に哀しい時代があったことを想像しにくいものです。
国家といっても運営するのは、不完全であやまちを犯しやすい人間。
ときに夜郎自大で軽率な行為をしでかすために、重く暗い時代を迎えることがあります。

「からゆきさん」もそのひとつでしょう。
日本は近代化を経て発展してゆく途上で、大きく道を踏み外してしまいました。
目を覆いたくなるような哀しい歴史です。

子孫である我々に出来ること、それは二度とあやまちを繰り返さないためにも歴史を冷徹に正視し、風化させないことではないでしょうか。
歴史と真摯に向き合うことこそ、後世に残された者の「実の尽くし方」だと。

少なくとも僕は『サンダカン八番娼館 望郷』を見て、ほんの100年前、人権が蹂躙され外国行きを余儀なくされた女性たちがいたことをゆめゆめ忘れてはいけない━━ と自分を戒めました。

女性として生きる痛み、強さを表現した田中絹代

『サンダカン八番娼館 望郷』の見どころは、なんといっても、田中絹代の一世一代の演技でしょう。
最高の演技と称賛する人も少なくないほど、強烈な存在感を放っています。

これほど女性として生きる「痛み」と「孤独」を表現した日本女優は他に知りません。
初めてこの映画を見てからというもの、僕は女性に対して、横柄な口の利き方をしなくなりました。
(それまでも親族を除いて、女性にぞんざいな口の利き方をしたことはありませんが)

おそらく僕は、田中絹代の演技を通して、女という「性」の崇高さを徹底的に教え込まれたのでしょう。
もちろん、他にも多くの邦画を通して学んだことは多いですが、『サンダカン八番娼館 望郷』は、ひときわ異彩を放ち心を強く揺さぶりました。
やはり「別格」です。

そして、田中絹代の半生を聞き出す、女性史研究家を演じた栗原小巻の清潔さと気品も忘れがたい。
田中絹代と栗原小巻のツーショットの「絵」は息を呑むほど美しいです。
完璧にして必要十分。
足すべきものも引くべきものもありません。

ふたりだけの芝居で、何時間でも見ていられるくらい不思議な収まりの良さがある。
すべてを落ち着かせ、穏やかにする、妙なるハーモニーが全編に伏流している。
まさに「絹代と小巻のハーモニー」であり、ふたりの女優による幸福なケミストリーといえましょう。

絹代と小巻、ふたりを眺めているだけでも、2時間つきあう値打ちがあります。

『サンダカン八番娼館 望郷』のキャストについての感想

『サンダカン八番娼館 望郷』キャストについて

北川サキ(田中絹代)

元「からゆきさん」である、北川サキを融通無碍の境地で演じています。
不遇をかこってきた女性特有のたしなみのなさが、立ち居振る舞い、一挙手一投足にまで行き届いている。
実際に彼女がサンダカンまで出稼ぎに行っていたような、屈託や刻みの深さを体現しているのに驚かれるでしょう。

撮影当時、還暦に近い年齢ですが、年配の女性特有の青筋を見せるために、腕の付け根をきつく縛っていたそうです。
木下恵介監督『楢山節考』では、老婆の役を演じるために前歯を砕いたのは有名な話。

物語の最後、北川サキと三谷圭子が別れる場面は白眉です。
圭子は世話になったお礼にお金を包んだ封筒を渡そうとしますが、サキは受け取ろうとしません。
そのかわり、圭子が使っていた手ぬぐいを求めるのです。

ほんの短いあいだ、娘のように一緒に暮らした圭子との思い出がつまった手ぬぐいもらって、喜んだのもつかの間、身も世もなく号泣するサキ。
ひとりの女性がどれほど深い孤独を抱えて生きたきたのかを、田中絹代は全身全霊の慟哭で表現してみせたのです。
彼女の並大抵ではないプロフェッショナリズムを感じさせるシーンでした。

ここで有名な田中絹代が受けたバッシング事件について言及しておきます。

戦後、田中絹代は渡米し、帰国した際のパフォーマンスが問題になったのです。
毛皮のコート姿。サングラス姿。そして投げキッス。これらがいけなかった。田中は壮絶なバッシングを浴びてしまったのです。

「アメリカかぶれ」「アメション女優」と批判されて、大女優は深く傷ついてしまいました。
今で言えば、「大炎上」といったところ、いや、もっと凄まじい打撃があったのは想像に難くありません。
当時の田中絹代は、日本国中を敵に回したような心境だったのではないでしょうか。

しかし大女優はめげません。
1952年、溝口健二監督の『西鶴一代女』に出演。
鬼気迫る演技で、女性のもつ「美」と「業」、「華」と「毒」を表現し、みごと汚名をそそぎました。

北川サキが生きた苦界とは違うとはいえ、芸能の世界は、田中絹代の半生は一口では語りきれないほど壮絶です。
その凄みが、『サンダカン八番娼館 望郷』の北川サキの表情に深く刻印されています。

ある意味、田中絹代は芸に挺身し、肉体を鬻(ひさ)いだ人生だったのかもしれません。

三谷圭子(栗原小巻)

知的で誠実な若手女性史研究家を熱演しています。
この人の水際立ったエレガンスはどうでしょう!
指の先まで、しつけが行き届いている立ち居振る舞いです。
過酷で重苦しい物語に涼しさと品位を与えていて、つい見惚れてしまう。

感傷に流されすぎず、注意深く抑制しているのだけれども、ときとしてあふれだすセンチメンタルな部分に指す翳(かげ)がことのほか美しい。
たおやかでチャーミングな中にも、ときおり澄んだ冷ややかさを垣間見せるところがあって、ハッとさせられる。

栗原小巻のファッションも素晴らしい。
1970年代、装いに清楚さとあだっぽさが共存しています。
今見ても、古めかしさを感じさせません。
・・・ ” 眼福 ” です。

そして、声。
清潔ななめかしさをたたえたヴォイスには心地よい抑揚がある。
それは栗原小巻固有のヴォイスなのか、時代によるものなのか判然としませんが、確実に言えるのは一点の曇りもない透き通った響きを持っているということ。
人の心を震わせて、陶酔させる響き。
・・・ ” 耳福 ” です。

栗原小巻の優美なたたずまい、慈愛に満ちた表情も、特筆に値します。
大女優、田中絹代を前にしても、可憐な女優はひるむことがありません。
絹代と小巻はお互いの個性を弾き返すことことなく、むしろ個性を補完しあうように調和している。
妙なる「絹代と小巻のハーモニー」が立ち上がるのです。

三谷圭子は自分が住み込んだ目的を最後まで隠し通して、元「からゆきさん」の告白を聞き出すのですが、いよいよサキと別れる前日に、自らの素性を明かします。
圭子の事情を何も尋ねることなく辛い体験を語ってくれたサキ。
それなのに自分はサキに自己開示しなかった━━ 圭子はそんな自分の行為を恥ずかしく思い、突っ伏して号泣します。

しかし、彼女を責めるどころか、一切合切すべてを受容し包みこむサキの慈悲深さが画面を通してじんわりと伝わってきて、僕も救われる思いがしました。
圭子の存在が、サキの冷えきった胸奥から人間的なあたたかさを溢れ出させたのでしょう。
・・・ ” 観福 ”(感服)です。

その他の役者陣

高橋洋子

田中絹代と栗原小巻を大絶賛しましたが、もうひとり主人公がいることを失念しておりました。

サキの娘時代を演じた、高橋洋子です。
この人の体当たりの演技は清新で、最後まで緩むことなくフレッシュな緊張感を保っています。
絶望をはねのける、”地べたのたくましさ” を感じさせるのです。

格別印象深いのは、高橋洋子と田中健とのロマンス。
際限がないほど重苦しく、汗でべたつく肌にシャツが張りつくような物語の中に、一陣の涼風が吹き抜けるような爽やかさを与えています。

水の江瀧子

そして、サンダカン八番娼館の主人、おキクを演じた水の江瀧子も見逃せません。
この人は女優でありながら、石原裕次郎を発掘したことでも有名な女性プロデューサーの草分け的存在。
女衒(ぜげん)相手にも臆することがない、性根が据わった「女傑」の風格を漂わせています。

山谷初男

最後にもうひとり。
田中絹代の家に住み込んだ栗原小巻に夜這いをしかける行商人を演じる山谷初男の怪演も素晴らしい。
『砂の器』では善良で素朴な巡査でしたが、『サンダカン八番娼館 望郷』では打って変わって、ねちっこい男の「業」を象徴したような人物を演じています。
この人の登場シーンが少ないのが残念でなりません。

さいごに

『サンダカン八番娼館 望郷』は以下にあてはまる方におすすめです。

  • 教科書には載っていない日本女性の哀史に興味のある方
  • 昭和の名女優による圧巻の演技を堪能したい方
  • リアルなドラマにどっぷり浸りたい方

ぜひこの機会に、『サンダカン八番娼館 望郷』をご覧になってください。

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